小池真理子さんと川上弘美さん――現代を代表する小説家二人が、明治・大正・昭和時代を生きた女性作家たちの随筆を読み込み、今の読者のために選んだエッセイ・アンソロジー『精選女性随筆集』全12冊が今年、文庫になりました。

 それを記念して、今秋、青山ブックセンター本店で行われた対談イベントを前後編でお届けします!(後編に続く)

構成・文春文庫

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川上弘美さん(左)と小池真理子さん(右) 表参道・青山ブックセンター本店にて 撮影・深野未季

エッセイと小説で自分を切り替えるか

小池 もう15年近く前のことになりますが、この選集の打ち合わせでお目にかかったのが、我々の正式な初対面だったかもしれませんね。物故作家たちのエッセイ・アンソロジーを編む仕事を依頼されて、受けてはみたものの、はたして自分に出来るのか、半信半疑で文藝春秋の会議室に行ってみたら……。

川上 明治、大正、昭和の女性作家の本や資料がたくさん並べてあった。二人とも決断が早くて、迷わずに、それぞれの担当する作家が決まった、という記憶があります。9人ずつ、全部で18人。小池さんは、森茉莉さんはじめ、小説を書く方を多く選ばれました。私は、不思議と、いわゆる「小説家」ではなく、高峰秀子さんのように、女優であり、そして素晴らしいエッセイを書く方、本業が小説家ではない人を中心に選んでいたんです。

小池 川上さんの作風というか、行間に滲み出る川上弘美的ふんわりした感じ、それに通じるものを感じさせる方々を、選んでいらっしゃいますね。私が選んだのは、これも無意識なのですけれど、理屈っぽいというか。

川上 論理的な人が多い。倉橋由美子さん、大庭みな子さん……。

小池 エッセイと小説、私たちは両方書きますけれども、作家で、小説は書いてもエッセイはあまり書かない方、いらっしゃいますよね。

川上 私が担当した中では有吉佐和子さんが、殆どエッセイを書いていなかったので、ルポルタージュなどから選びました。

小池 川上さんご自身は、エッセイを書くことと小説を書くことの間に違いを感じていらっしゃいますか。私はもともと、文筆の道に入ったきっかけが『知的悪女のすすめ』というエッセイ集でした。だから早いうちから、職人芸みたいな感じで、エッセイの書き方は体得していたのですよね。でも私にとって、小説を書くこととエッセイを書くことは全く違う。小説は、あらかじめ自分の中で物語の構想を練った上で、自分の観念性、抽象的な考え方を駆使して書いていく面白さがある。エッセイは、自分の内側から湧き上がってくるものを、どれだけ読者に分かりやすく表現できるか、ということなので、いつも頭の中では切り換えて書いていますね。

川上 私は実は、小説とエッセイにあまり差がないです。というのは、エッセイにも嘘八百を書いている(笑)。私、小説家になりたいと思っていましたが、その頃の一番の悩みは、絶対に自分はエッセイを書けないだろう、ということでした。

小池 そうなんですか。

川上 書きなさい、と言われたらどうしたらいいんだ、とすごく悩んでいました。ところが芥川賞をとったら、すごい勢いでエッセイの注文がくるんです。どこの媒体か忘れましたが、「作家になる前のことを書いてください」という依頼があり、「公民館のエッセイ教室を受講して課題のエッセイをたくさん書いたけれど全く良い評価をもらえなかった」というエッセイを書いたんですけど、ほとんど作り話(笑)。そして小説の方ですけど、幽霊が出てきても、ついてきても、自分は幽霊を見たこともないし信じている訳でもない。だから意識としては虚構を平然と書く、ただ、その中には、不思議と真実が含まれていたりするんです。また私の場合、自分の考え、たとえば「世界と人類が平和でありますように」という願いを込めた小説を書きたい、と言語化すると、もうその言語の外に出られなくなってしまう。そういう思いは、ぼんやりと、エクトプラズムのように(笑)体のそばに浮いていてもらいながら、感じていることをいかに文章にしていくか、ということが私の、文章を書く、ということなので、そういう意味で、小説もエッセイも一緒かもしれないです。