そして我慢がならなくなったら、その人と距離を置いたり、そのコミュニティから離れたりしてよいのです。この国ではぐっと我慢することが美徳とされますが、嫌な環境に身を置いて心身に支障をきたすのは、まったくもって健全ではありません。
基本的には、他人を変えることはできません。ですから自分で工夫して、自分の過ごしやすい状況をつくっていくのです。
誰かと比べるのは無意味。知性ある人の合言葉は「自分は自分」
私は、人と自分を比較するという行為は、賢く生きるということとは対極にあるものだと思っています。
60代以降、うつ病のリスクは上がります。その大きな要因は、あらゆる面で個人の差が広がる年代に入ってくるからでしょう。
自分は定年退職したが、あの人はまだ社会で活躍している。
自分は家族を失くしたが、あの人の家族は元気だ。
自分は体の調子がずっと悪いが、あの人はいつ会っても元気だ。
そんなふうに、さまざまな要素で違いが生じやすいがゆえに、「あの人に比べて自分は恵まれていない」と、差を痛感したときに落ち込んでしまうのです。
こういった感情には致し方ない部分もあると思います。けれど、老年期に差し掛かった今こそ、ぜひ「私は私」を合言葉にしてみてください。幸せは、外野や人の状況によって左右されるものではありません。あなた自身の尺度で決めるものです。
物事を優劣や勝ち負けの中でとらえようとすると、人生はとても生きづらく、後ろ向きなものになってしまいます。上には上がいますし、価値観もさまざまです。何かを比べ出したらキリがなく、劣等感にも頻繁に苛まれることになるでしょう。
そして、「下を見て安心しようとする」こともまた、自分の進化を妨げてしまうことにつながります。どん底に落ちたとき、自分より状況が悪い人を見て満足したくなるのは、わからないことではありませんが、生産的とは言えません。
学生のケースを例にすると、最終的に望んだ成果を手にするような生徒は、たとえ成績が下降してきたときも、諦めないで上を目指し続けます。けれど、「自分より成績の悪い人がいるからまだ大丈夫」と安心しているような生徒は、さらに成績が下がっていってしまうのです。