最近悟ったことは…
――近年、YouTubeの動画を見てやり方を知る、という学習法が一般化して久しいですが、あれも「お手本+コピー」ですね。
町田 まさに。実際、何かを見て「まねぶ(=真似る+学ぶ)」ことの効果というのは、想像以上に大きなものです。まわりに上手い選手がいて、その人を見ながら育った選手と、そういう人がいない環境で育った選手とでは、伸び率にかなりの違いが出るということも判明しています。
だから最近私が悟ったのは「想いは、必ずしも伝わり切らなくてもいいのかもしれない」ということです。踊りの動きを創造することを「振付」、それを他者に教えて踊らせることを「振り渡し」と言います。「振付」は、他者に「手渡されて」いるのです。
「適度に諦める」というのも悪いことではない
振付家である私の想いが演者に完璧に伝わって、寸分違わぬ動きが可能になったとして、それは果たして面白いことなのか。それなら、振付家が自ら踊ってしまえばいいのでは? という見方もできなくはありません。だからこそ、「適度に諦める」というのも悪いことではないと思える。もちろん許容範囲というものはありますが、良い意味での認識の誤差は、むしろ演者のオリジナリティであるとも言えます。
「伝わらない」ことを受け入れて、それを一種の「余白」「余地」として演者に手渡すことも、作品を作る上では大事なことなのではないか、そんなことも考えるようになってきました。そうやって、理論と実践の絶え間ない往還が続く中で初めて可能になるのが、私にとっての言語表現なのかもしれませんね。
――町田さんが持つ「言語」をまとめると、大きく3つに分けられるように思います。競技経験者/作り手としての言語、解説者としての言語、そして研究者としての言語です。これらの違いについて、意識されていることがあれば教えてください。