2024年3月に放送作家を引退したのを機に、「小説SMAP」をうたった『もう明日が待っている』を刊行。SMAPの素顔を余すところなく描き出したのが鈴木おさむさんである。
テレビの世界を離れて半年あまり。いまこそ語れる「SMAP論」を、存分に披露していただこう。今回は稲垣吾郎の、味わい深い人となりについて語る。(全2回の1回目/後編に続く)
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SMAPで最初にブレイクしたのは…
僕が稲垣吾郎さんとお会いして仕事をごいっしょするようになるのは、放送作家として関わっていた『SMAP×SMAP』が始まった1996年からですが、そのころすでに稲垣さんは売れていました。SMAPのメンバーのなかで、いちばん最初にフィーチャーされたのは稲垣吾郎さんだったはずです。
稲垣さんが注目されたのは、1992年のフジテレビ系ドラマ『二十歳の約束』への出演で、それがSMAPというグループの認知度を一気に上げる起爆剤にもなりました。なんといってもあれだけの美形ですから、それだけでもう大きな話題となっていました。
翌1993年にはフジテレビ系でドラマ『あすなろ白書』が放送され、木村拓哉さんが大旋風を巻き起こします。そのままSMAP自体もブレイクし、国民的アイドルグループとなっていきました。
先鞭をつけた稲垣吾郎さんは、ほかのメンバーがあとから駆け上がってきたことを、どんな気分で見ていたのだろうと思います。足並みをそろえて前に進めることがうれしい半面、追いつかれる側としての焦りみたいなものも、多少はあったかもしれません。
いつしかメンバーのうち中居正広、香取慎吾、草彅剛はバラエティに出る人たち、木村拓哉と稲垣吾郎は俳優としてドラマ出演に軸足を置く人たち、という色分けができていきました。ドラマ組の木村拓哉さんは『あすなろ白書』以降、テレビ史に残るほどのビッグヒットを連発するようになります。