お願いだからクマさんに出会いませんように、とおっかなびっくり橋を渡ると、確かにそこは人の気配がまったくない世界。銅街道沿いはまだ民家の類いが並んでいるから町の様相はあるものの、橋を渡るとそうしたものは何ひとつ存在しない。少し歩くと、跨線橋の下には廃線跡がこれまたはっきり残っていた。すぐ脇にはトンネルの入口も口を開けている。それ以外には人工的なものは何もないから、確かにこれじゃあいつクマさんに出会っても不思議じゃないですね……。
クマが出没するエリアを抜けて見えてきたのは...
クマさんも怖いし、そもそもお目当ての廃線跡がトンネルの中に入ってしまって並行する道もないので、橋を渡ってまた銅街道に戻る。ここから銅街道は、「上間藤」と呼ばれる地域に入る。町中のところどころに置かれている案内を見ると、足尾銅山が活況を呈していた頃にはたいそう賑わっていた中心市街地だったという。
割烹料亭や劇場にはじまり、料理屋や雑貨店、乾物や酒屋、鮮魚を扱う店までずらりと揃い、小学校まで。大正時代、足尾の人口は3万8000人を超えていた。“鉱都”などと呼ばれており、かなり大規模な“都市”だったのだろう。
いまも上間藤の町並みにはそうした時代の面影がほんのりと残る。廃線跡とは少し離れてはいるけれど、こうした町の中を歩くのもまたなかなか楽しいものだ。上間藤の町はそのまま赤倉という町に続き、郵便局の前を過ぎた先でまた橋があった。今度はクマ出没注意の注意書きがないので、なんとなく安心して橋を渡る。
その先には、トンネルから抜けてきた廃線跡がまたちゃんと残っている。川沿いの道よりも一段高いところを通っているから近くにはいけないが、北にあるトンネルに入る手前には腕木式信号機も残っている。国内では津軽鉄道だけで使われている、かなり古いタイプの信号機。トンネルを出るとすぐに橋を渡って足尾本山駅だから、駅に入っていいのかどうかを示す信号機だったのだろうか。
見えてきた足尾銅山のそばには重要文化財が...
ここから線路に沿った道も続いているのだが、治山工事の関係なのか、途中で通行止めになっていた。なのでまたも橋を渡って銅街道へ。古い街並みを歩いて抜けると、すぐにこれまでとはまったく違う立派な橋が見えてきた。ふたつの橋が並んでいて、その片方が「古河橋」。1891年に架けられたトラス橋で、国の重要文化財にも指定されているという。