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 班目は頭を抱えたままで、質問には明確に答えなかった。後の国会事故調の調査に、班目は、このときの記憶がほとんどないと語ったうえで1号機の原子炉建屋は、最上階の5階オペレーションフロア付近が吹き飛んでいるので、格納容器は無事ではないかと思っていたと述べている。東京電力から周辺の放射線量が上昇しているという報告も入ってこなかったので、半分安心していたと話している。

「とにかく早く報告をあげさせろ」菅が秘書官に厳しい口調で指示を出した。明らかに1時間以上前に1号機が爆発するという重大事態が起きているのに、東京電力から爆発したという報告は官邸に届いていなかった。東京電力に対する菅の怒りと不信がまた増幅していた。

「再臨界はしないのか?」

 午後6時すぎ。総理執務室の菅のもとに、経産大臣の海江田万里(62歳)や総理補佐官の細野豪志(39歳)、それに班目、保安院次長の平岡英治(55歳)、東京電力の武黒一郎(64歳)ら関係者が集まった。この直前の午後5時55分に海江田は経済産業大臣として1号機の原子炉を海水で満たすよう東京電力に措置命令を出していた。早く海水注入をして原子炉を冷やさなければならない。関係機関の一致した認識だと思っていた。ところが、この場で、菅が思わぬ問いを発した。

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菅直人総理大臣(当時) ©文藝春秋

「再臨界はしないのか?」

 総理執務室は、虚を突かれたように沈黙に包まれた。保安院次長の平岡が「うっ」という表情を見せた。平岡は、唐突な質問だが、原子力の規制機関としてどう答えるのが適切なのか難しい質問だと思った。実は、この直前に菅は、母校の東京工業大学の人脈を通じて別の専門家から再臨界のリスクについて電話で聞いていた。この頃から菅はセカンドオピニオンを重要視するようになっていた。

 事業者の東京電力、規制機関の原子力安全委員会や保安院以外の専門家の見解を聞くようになっていたのである。菅が電話で話した専門家は、1999年に起きたJCOの臨界事故でも一旦収束した後、再臨界が起きたことを指摘し、メルトダウンした燃料が原子炉の底に平べったくなっていたらいいが、盛り上がって球状に近い形状だと、水が注がれると再臨界を起こすリスクがあると指摘していた。この指摘を踏まえて菅は、再臨界の可能性を問いただしたのである。難しい問いだった。しかもこの時、官邸では、1号機の原子炉の中の状態を示すデータは何一つと言っていいほど把握できていなかった。総理執務室がにわかに緊張してきた。

 答えを求められる専門家の立場にあった班目は「可能性はゼロではない」という答え方をした。

 この答えを聞いて、細野豪志(39歳)はびっくりした。再臨界の可能性が有りうるというニュアンスで受け止めたのだ。海水注入は当たり前で、再臨界なんてあるのかと思っていたのに、専門家たる班目が可能性を否定できないと答えたと考え、細野はかなり驚き、まずいと思っていた。

 一方、班目は、後の国会事故調のヒアリングで、記憶がないと言いながら「自分が再臨界の可能性はあるかと聞かれたら、ゼロではないと必ず答える」と述べている。

 むしろ、この時は「海水でも何でもいいから、水を注ぎこむべきだ」という考えだったと語っている。リスクについて専門家の言い回しと政治家の受け止めに、かなりのずれが生じていたのである。