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そもそもaikoがこうしたスタイルをとるようになったのは、デビュー前夜にさかのぼる。彼女は大阪音楽大学短期大学部に在学中の1995年、ヤマハ主催のコンテスト「ティーンズ・ミュージック・フェスティバル」でティーンズ大賞を受賞、さらに卒業後の翌年には同じくヤマハ主催の「ミュージック・クエスト・ジャパン・ファイナル」で椎名林檎らとともに優秀賞を受賞した。
「曲作りが追いつかなくなると、アーティストは消えていくんだよ」
このときの受賞を機に複数の事務所からスカウトを受ける。そのなかにあって、スカウトするわけでもないのに電話をくれたのが、のちに所属する事務所の社長だった。社長は電話をくれるたび二言目には「曲書いてますか?」と訊いてきたという。それというのも、デビューしたら曲を書く時間がなくなるとの理由からだった。「気づいたらアルバム制作に曲が追いつかなくなって、書けないし、曲もできないし、CDも出せないしっていう悪循環のもと、アーティストは消えていくんだよ」とかなりシビアな話も聞かされたらしい(aiko『aiko bon』ソニー・マガジンズ、2005年)。
おかげで彼女は日頃から曲を書くことを心がけるようになった。それが1997年末より半年あまりのインディーズ時代を経て、メジャーデビューしてからもずっと続いているというわけである。
彼女の曲の大半はラブソングで、それらの詞はすべて自身の経験と妄想がベースになっていると、彼女はことあるごとに語ってきた。ただ、ときには思いがけない出来事が動機となって曲を書くこともあったようだ。