大相撲夏場所千秋楽後、乾杯する(左から)大関北勝海、横綱千代の富士、九重親方(元横綱北の富士)=1987年5月、東京都墨田区の九重部屋

 大相撲の元横綱でNHK相撲放送の「顔」でもあった北の富士勝昭さんが12日に死去した。率直で軽妙なコメントの中に、角界への愛情と激励がこもっていた。

 「簡単に倒れると、見ている人に、俺でも勝てるんじゃないかって思われる」「上位がこれじゃ盛り上がりようがない」。有望力士があえなくつり出されると「もっと抵抗しないと。シャケじゃあるまいし」。

 稀勢の里(現二所ノ関親方)にも歯がゆそうだったが、マイクを離れれば自称「稀勢の里を横綱にする会の会長」。厳しさは期待の表れ。待ちわびた横綱昇進が実現した後も、辛口の叱咤(しった)激励を続けた。

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 1998年、日本相撲協会の役員選挙の混乱を嫌って退職。NHKの解説者になった。角界のご意見番として、時にファンの代弁者として、協会を離れた立場だからできる直言。冗舌な技術解説よりも、北の富士さんがずばりと放つ一言を楽しみにする視聴者が増えていった。

 力士を持ち上げる舞の海さんとの掛け合いも人気。ある時、酒席で舞の海さんが言った。「私とは年齢も番付も違うけど、一番の違いは弟子を育てたことがあるかどうか。その話をしてほしくて解説中に振っても、話してもらえないんです」

 千代の富士、北勝海(現八角親方)ら多くの関取を育てた北の富士さんは「私の場合は弟子が自分で頑張ったんだよ。私がどうこう言ったら自慢話になるでしょ」と答えた後で、「俺だって少しは自慢したいけどさ」と笑わせた。

 近年は着物姿がトレードマーク。「ゴルフ場でも、きょうは着物じゃないんですかなんて聞かれる」とぼやいたが、スマートなスーツ姿も似合えば、阪神タイガースのジャージーで焼き鳥屋に現れることもあった。

 相撲人気が回復し、自らの年齢も意識するようになったのか、「NHKに早く後釜を探せと言ってるんだ」と漏らすようになっていた北の富士さん。これだけの実績とスター性とセンスを兼ね備えたご意見番は、簡単には現れそうにない。