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中学で書いた「前衛的な『8時だョ!全員集合』」みたいな脚本

―― 当時お笑いはご覧になっていましたか?

高橋 僕は大阪なんで、藤山寛美とか渋谷天外とか松竹新喜劇育ちです。まだ吉本全盛ではなかった。あと、藤田まことの『てなもんや三度笠』とか。藤田まことがのちに“剣客”になるなんて思いもしなかった。

 

―― “はぐれ刑事”にまでなりました。

高橋 藤田まことで言うと『スチャラカ社員』っていうコメディードラマがあったんです。ミヤコ蝶々、横山エンタツ……、あと富司純子さんが出てましたよ。『緋牡丹』シリーズに出る前の、まだ20歳ぐらいとかで。

―― いやぁ、よく観てますね。

高橋 考えたらよく観てるなあ(笑)。テレビの生き字引ですね。僕の基本的な教養はテレビでできてるのかもしれません。

―― 中学になると演劇の脚本を書かれたそうですが、それは「前衛的な『8時だョ!全員集合』みたいな感じだった」そうですね。

高橋 今考えるとね。シナリオ書こうと思うと、やっぱり関西なんでどうしても笑いが出てきちゃう。当時はベケットからフランス古典劇までいろいろ戯曲を読んでたんで、それにプラス、松竹新喜劇。しかもミュージカルにして、好きな音楽も入れました。後になって、夢の遊眠社とか第三舞台を観て、「僕、やってたよ、こういうの」って思いました(笑)。

――知的に早熟な子ども時代ですよね。

高橋 アルフレッド・ジャリの『ユビュ王』の翻訳が、現代思潮社からちょうど出た頃で、上演したこともありますよ。19世紀フランスの有名な前衛演劇で、もともとダジャレに満ちた戯曲なんですが、これをさらに関西風にアレンジしたんです。だから『ユビュ王』の日本初演って、実は僕らなんじゃないかなって。

 

―― 一緒に演じたメンバーはやっていて理解できていたんですか? 

高橋 分かってるっていうか、僕より読んでる子ばっかりでした。しかも勝手に解釈をする。僕がセリフを書くと「これは高橋君、分かってないよ」「ここは現象学的な意味でジャリは言ってるんだ」とか言ってセリフがズタズタになっていく(笑)。面白かったですね。

サルトルを読むそばから、ダジャレ言ってる仁鶴の声がする

―― 先ほど、映画も好きだったとおっしゃっていましたが。

高橋 中1ぐらいから毎週4本ぐらい行くようになりました。

―― 毎週!? それは映画館に?

高橋 そう。4本から6本。全部点を付けていたんです。1年50週だから、年200本とか300本ぐらいか。新作は全部観てましたから、古いのを名画座で観て。そうしたら3年ぐらいで観る映画がなくなっちゃった(笑)。漫画は相変わらず読んでいたし、もちろんテレビは観てたでしょう。劇を作って、ジャズ聴いて、本読んで、合間に勉強。それにプラス、僕はラジオっ子だったから一晩中ラジオ聞いてた。

―― うわー、寝れない。

高橋 僕が中学の頃は笑福亭仁鶴さんのパーソナリティー番組が関西で一番人気がありました。だから、あの人は僕らにとってはラジオのパーソナリティーなんです。関東で言う(笑福亭)鶴光さんみたいな存在。

 

―― 本はどんなものを読んでいたんですか?

高橋 現代詩から、思想から、SFから、何でも読んでました。

―― それを仁鶴を聴きながら。頭がすごいことになりそう(笑)。

高橋 そう。サルトルを読むそばから、ダジャレ言ってる仁鶴の声がする。やっぱり、こういうなんでも入ってくる感じは、自分の小説に影響してるかもしれませんね。