現代日本文学をリードする小説家は生粋のテレビっ子だった! 今明かされるテレビカルチャーをちりばめた小説世界の源泉、50年来の「テレビの履歴書」。テレビっ子インタビューシリーズ15回目のゲストは高橋源一郎さん。てれびのスキマさんが伺います。(全3回の1回目/#2#3へ続く)

小説家・高橋源一郎さん

テレビが家に来たのは小3の頃です

―― 僕、大学の卒論のテーマが「高橋源一郎」だったんです。

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高橋 そうですか、それはご苦労さまです(笑)。

―― 憧れの方を前にとても緊張してます……。高橋さんは特に初期作品でテレビを小説のモチーフにしたり、引用されることもあるので、テレビもお好きなんじゃないかと今日はお伺いしました。幼いときからテレビは家にありましたか?

高橋 1951年生まれなんですけど、テレビの最初の記憶といえば街頭テレビとか、おそば屋さんのテレビで流れている番組とかかな。テレビが家に来たのは小3の頃です。ですから60年頃の『ララミー牧場』とか『うちのママは世界一』とか、ああいうアメリカンホームドラマはなめるように観てました。日本のドラマは生放送も多かったんですよ、あの頃は。だからNHKの『事件記者』とかもよく憶えているし、クレイジーキャッツのお昼のバラエティ番組も生で観てました。そうだ、あと小学校の教室にテレビが置いてあったんだよね。教育番組を観せるためだと思うんだけど、『ベン・ケーシー』を先生と一緒に観て「わあ、キスしてら」って(笑)。

 

―― やっぱりアメリカのものが多かったんですか?

高橋 多かったですね。国産でいうと、『七人の刑事』とか『若い季節』とか、バラエティーでは、ザ・ピーナッツが出てた『夢であいましょう』。ああいうのはもちろん全部フルで観てます。『紅白歌合戦』は全部自分で採点してたし(笑)。

僕の映画教育係はテレビと母でした

―― かなりのテレビっ子ですね。

高橋 家帰ったらずっとテレビを観ていましたね。NHKの大河も1作目から観てるし。

―― 『花の生涯』ですか?

高橋 そうそう。おばあちゃんが大好きで一緒に観てました。中学1年ぐらいのときだと思うんですけどね。だから、小3から中3ぐらいまではほんとによく観ていて、中でも一番観てたのは小5~6ぐらいじゃないかな。中学になると映画館に行くようになったので、テレビを観る時間は減ったんですが、フジテレビで午後3時頃から「テレビ名画座」という番組をやってたんですよ。フランス映画の名作が中心で、それこそ『望郷』とか、ジャン・コクトーの『オルフェ』とか『天井桟敷の人々』とか、ルネ・クレールの『自由を我等に』とか30~40年代の作品ですね。ああいう古典名作は母親が好きだったから、一緒にテレビで観ましたね。「ペペ・ル・モコっていうのはね……」とか母が解説してくれるんですよ(笑)。だから僕の映画教育係はテレビと母でした。