かつて50歳を間近にした頃、妻との離婚で激ヤセしたベテラン医療ジャーナリストの長田昭二(おさだ・しょうじ)氏(現在は59歳)。あまりのショックでヤケを起こし、趣味であるマラソンに熱中し続けた彼を襲った「さらなる悲劇」とは…? 治療・お金・終活のホンネとヒントを綴った等身大の闘病記、新刊『末期がん「おひとりさま」でも大丈夫』(文藝春秋)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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発見のきっかけは離婚だった
僕のがんとの付き合いは、離婚から始まった。といっても、がんという病気は離婚したからといって体のどこかにできるという性質のものでもない。発見のきっかけが離婚だった、ということだ。
2014年の春、僕は9年間連れ添った女房と離婚した。子どもはいない。
僕は40代前半で夫婦で始めたランニングを趣味とし、暇さえあれば神宮外苑や皇居の周りを走り回っていた。マラソン大会にも積極的に参加し、フルマラソンの自己ベストは4時間28分と平凡以下だが、東京マラソンやホノルルマラソン、香港国際マラソンなどの大会のほか、日本各地で開催されるレースを夫婦で走ることを楽しみとしていた。
周囲の誰からも仲のいい夫婦と思われていたし、僕自身もそう思っていたところに、突然降って湧いた離婚という出来事に、僕は強いストレスを負って食事ができなくなった。それまで73キロだった体重が、わずか2カ月で58キロまで減少。その変貌ぶりは周囲の人を確実に驚かせた。中には悪い病気を疑って、痩せたことに触れようとしない人もいる。こちらから先回りして事情を説明して、「どうか心配しないでほしい」と頼み込むことも珍しくなかった。
ただ、痩せた理由こそ健康的ではないが、体重が減ればマラソンのタイムは自動的に良くなる。精神状態は最悪でもタイムが短縮されれば、それ自体は素直にうれしい、というより、当時の僕には他に喜ぶべきことが無かったのだ。それに走っている間は嫌なことを忘れられる。僕は以前にも増して走るようになっていた。
どんなに走っても、元に強烈なストレスがあるので空腹は感じない。だから食べない。暑い日に練習と称して10キロや15キロの距離を走れば喉は渇くし、もっと言えば体は脱水状態だ。そんなところに水ではなくビールを流し込み、何も食べないでいるのだから体にいいわけがない。自分自身でも危険であることは承知していたが、それでも走らずにはいられなかった。
いま思うと自暴自棄になっていたのだ。