「僕の失敗は今後がんにかかる可能性を持つ、もしくは、現在がんを患っている多くの読者に役立つかもしれない。なので恥を承知の上で、僕の経験を記しておきたいと考えた」――医療ジャーナリストとして長年、活躍してきた長田昭二(おさだ・しょうじ)氏。医療情報のプロとも言える氏がなぜ自身のがんに気づけなかったのか? ステージ4という末期の状態まで放置してしまったのか? 治療・お金・終活のホンネとヒントを綴った等身大の闘病記、新刊『末期がん「おひとりさま」でも大丈夫』(文春新書)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

抗がん剤治療を受ける前の筆者こと長田昭二氏 ©文藝春秋

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 僕の病気は前立腺がん。病期は「ステージ4」。

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 がんの病期分類はゼロから4までの五段階。「4」の後はない。現状を分かりやすく言い換えると、「末期がん」となる。

 いまこの原稿を書いている2024年8月の時点で、すでにがんは前立腺から胸椎や肩甲骨、腰椎などに転移している。化学療法(抗がん剤治療)を受けてはいるものの、これはあくまで延命が目的の治療であって、根治を目指すものではない。僕の視野は、そう遠くない先にある人生のゴールをぼんやり捉え始めている。

検査や治療から逃げ回っていた

 昭和40(1965)年生まれの僕は、現在59歳。職業は「ライター」「ジャーナリスト」「ノンフィクション作家」など色々な呼ばれ方をするが、日本医学ジャーナリスト協会という組織に所属し、書く原稿の8割方が医療関連なので、「医療ジャーナリスト」と紹介されることが多い。日々全国の医療機関に出かけては新しい治療技術や新薬開発の状況、医療制度や医療現場の問題点などを取材し、それを記事にして新聞や雑誌、ウェブサイトなどを通じて報じるのが僕の仕事だ。

 日本人の2人に1人はがんにかかり、3人に1人はがんで命を落とす──。

 これまで何十回このフレーズを新聞や雑誌の原稿で書いてきたか分からない。がんは身近な病気だ、でも早期発見、早期治療をすれば治せる、あるいはがんと共存しながら長生きできる可能性がある、ということを伝える記事の冒頭に、このフレーズはとても便利だ。

 しかし、いざ自分が「2人のうちの1人」に認定され、近い将来「3人のうちの1人」に入ると宣告されると、やはり考えるところはある。

 日頃病気の恐ろしさを説き、病気になったらどうすべきか、またそうならないためにどうしたらいいのかを取材して歩いている者が、病気の当事者になってしまったのだから「面目ない」では済まされない。これまで僕が書いてきた医療記事は何だったのか、という責任問題にもつながりかねない。

 でも、過去の記事にウソはないので安心してほしい。単に僕が自分で書いた注意点を守らず、検査や治療から逃げ回っていたことがすべての原因なのだ。

2024年時点の長田氏 ©文藝春秋

「痛み」や「苦しみ」が好きな人はいないだろうが、僕はこうした「苦痛」に対して人一倍警戒心が強い。早い話が「こわがり」なのだ。しかも、嫌なことや面倒なことを簡単に後回しにする性格でもある。がんの転移を許した背景には、そんな僕の性格が少なからず関係しているようだ。

 理由はどうあれ医療記事を書いている者ががんになり、それを転移させてしまったことは事実である。

 しかし、僕の失敗は今後がんにかかる可能性を持つ、もしくは、現在がんを患っている多くの読者に役立つかもしれない。なので恥を承知の上で、僕の経験を記しておきたいと考えた。自分の失敗を公開することで、医療ジャーナリストとしての失敗を許してもらおうという魂胆なのだ。