1938年(昭和13年)5月21日未明、岡山県の山間にある西加茂村(現在は津山市)の貝尾という集落で、30人もの老若男女がわずか1時間あまりの間に相次いで惨殺される事件が起きた。その事件こそが、世にいう「津山三十人殺し」である。
ここでは、津山事件研究の第一人者であり、2022年6月に57歳で急逝した石川清さんの記録をまとめた『津山三十人殺し 最終報告書』(二見書房)より一部を抜粋して紹介する。
犯人である、当時22歳の都井睦雄は一体なぜ事件を起こしたのか。当時の警察は「集落の女性たちとの痴情のもつれ」が動機であると判断したというが、果たしてそれは真実なのだろうか。睦雄の遺書や当時の社会背景から探る。(全4回の2回目/続きを読む)
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遺書をめぐる謎
睦雄は、自殺の直前に書き残した3通目の遺書のなかで、事件を起こした動機についてこう述べている。
今日決行を思いついたのは、僕と以前関係のあった寺井ゆり子が貝尾に来たから、又 西川良子も来たからである、しかし寺井ゆり子は逃した……。
こう書き記した一方で、睦雄は数ヵ月前から犯行の準備をしていた形跡も残しており、ふたりの女性の帰省が犯行の実行を早めた要因とも考えられる。
睦雄は幼いころから頭のいい子どもだった。学校の成績も常に優秀で、地元の尋常小学校始まって以来の秀才ともてはやされていた。色黒で筋肉質の男性が多い山村にあって、色白で華奢な睦雄は異色の存在だった。家も裕福で毛並みもいいことから、女性にはけっこうもてたという。
岡山の山中には、古くから夜這いの風習が残っていた。女性の寝所には鍵をかけておかず、夜になると秘かに男性が忍んで逢い引きするというものである。時には昼間でも人目につかないところで逢い引きしたりもした。独身者だけでなく、既婚男女も夜這いの風習を大いに楽しんだらしい。
女性に人気のあった睦雄は、前述の寺井ゆり子や西川良子だけでなく、集落内の10人以上の女性と性的な関係を持っていたとされる。特に年上の既婚女性にもてていたようだ。当時の山村にはいない優男タイプの睦雄は、母性本能をくすぐったのだろう。当時の農村は総じて早婚の傾向にあり、睦雄より年上の女性は既婚者である場合が普通だった。
村内の女性にもてた睦雄は夜這いの風習を謳歌していた。しかし、そんな睦雄にある日、悲劇が訪れた。