それにしても助平とは何やら所以のありそうな名前だ。いったい、助平屋敷の所以とは何なのだろうか。物見に住む古老に聞いてみた。
「ああ、そこは昔の賭場の開かれたところだよ。山の中の村じゃ、娯楽なんてほとんどないからねえ。数少ない娯楽のひとつが博打だったわけさ。サイコロや花札など、いろんな博打が開かれたようだよ」(物見に住む古老)
だが、なぜ博打を意味する言葉ではなく、助平などという枕詞がつけられているのだろうか。
性的に開放された風習の中で
「助平といえば、そりゃひとつしかないだろうよ。男と女の例のスケベのことさ。昔はなあ、博打をやって負けたとき、よく自分の女房を一晩とか二晩、貸し借りしたものなんだよ。負けが込んで支払う金がなくなったときは、女房や娘を代金がわりに勝った奴に貸したんだよ。
でもね、昔はこの辺の山の村にはどこでも助平屋敷みたいな賭場があってさ。必ず金がないのにやってきては大負けする奴がいたもんさ。そんなときは、代金がわりに女房や娘を差し出すのが普通でさ。えっ、もし女房や娘が借金のカタになるのを嫌がったらどうするのかって? そうしたら、着ているものとか身ぐるみはがされて、ひどいときには家や土地まで取られるわけだからさ。仕方なく我慢するしかないんだよ。
時にはなあ、バクチに負けたら、助平屋敷のすぐ裏とかで、すぐに女房を抱かせたりしたこともあったそうだよ。そうしたら、女房のほうもさ、どうせ身を任せなきゃいけないなら、楽しまなくちゃ損って感じで、かえって亭主以外の男との情交を割り切って楽しんでいたらしいよ。まあ、博打に女房を賭けるような男なんて、どうせろくでもないダメ亭主だしね」
もともとこの地の山間には夜這いの風習が残り、性的にかなり開放的だった。だから、夫が自分の妻を他人に貸すのも、妻が隣人に抱かれたりするのも、現代に比べれば抵抗は少なかったのだろうか。
外部に対して普段はかなり閉鎖的な山の集落だが、いざ一歩村の内部に入ると、博打の代金の代わりに妻や娘を貸し借りしていたという驚くべき状況の存在に直面する。しかもそんな状況が日常的に、半ばオープンに存在していたのだ。
「だからさ、明らかに亭主の顔とは違った子どもがあちこちで産まれたりしたものさ。でも、それは異常じゃないんだ。一種の文化だったわけよ」
睦雄は、このような農村独特の開放的な雰囲気のなかで育ったのだ。