ただ、「四国にはまだ他人のことを考える文化が残っている」と話す。
四国八十八箇所の霊場を巡る遍路があるからだ。白装束の「お遍路さん」に出会ったら、飲み物や食事を分け与えたり、労ったりする「お接待」という風習がある。
「私も500円ぐらいだったら、『これでジュースでも飲んで下さい』と渡します。八十八箇所は誰もが回れるわけではありません。お接待することで、功徳になるのです。四国だけの文化ですね」
他人の身になって考える「ごめんなさい」に通じる行為でもある。
日常的に「ごめん」「ありがとう」と言える環境を
徳久さんは「私が学校のクラス担任だったら、『言い出せなかったごめんなさいをハガキに書いてみないか』と生徒に提案すると思います」と言う。
事実、教員の参考書には「ハガキでごめんなさい」全国コンクールを教材にした授業の進め方を取り上げている例もある。参考書の著者は「少し勇気を出して『ごめんなさい』と言える子どもを育てたいと考えた」などと、授業で扱う意義を説いている。
徳久さんは若い時に教鞭を執った経験がある。妻の実家のクリーニング会社の経営に参加するために退職したが、近年はまた高校の国語科講師として教壇に立っている。
「『ごめんなさいというようなことをしてこなかったか』という生徒への問いかけは、それまでの自分を振り返ることにつながり、大きな意味があると思います。若い時にそうした経験をしておけば、その後の人生で絶対にプラスになります」
他人を思いやれるか。他人に素直になれるか。生徒は自らに問うことになる。
「逆に他者を認めないという思考は、人類にとって滅亡への足音にしかなりません。世界各地で発生している紛争のニュースを耳にすると、特にそう思います。日常的に『ごめん』『ありがとう』と言える環境を作っていかなければ、人類の将来はないかもしれない」と、徳久さんは危機感を募らせる。
「ごめんの町」には平和への鍵がある。それは自分の身を傷めながら、なお他者を助けるアンパンマンの精神でもあるだろう。
寄せられるハガキに変化はあっても、『ごめん』の本質は変わらない。
撮影=葉上太郎
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