来年のNHK大河ドラマの主人公・蔦屋重三郎が活躍した江戸時代の吉原遊郭とは、どのような場所だったのか。永井義男(監修)『蔦屋重三郎の生涯と吉原遊廓』(宝島社)より、一部を紹介する――。
吉原遊廓の「遊びの心得」
吉原遊廓で遊ぶ際には、一定の形式がある。まずは吉原のタウンガイドである吉原細見を見て、どの妓楼やどの遊女がよいのか、自分の懐具合と適った場所を探す。
目当ての妓楼・遊女があれば、直接、妓楼へ行って張見世で遊女を見物したり、見世番に相談したりする。
客が直接、登楼することを「直きづけ」と呼ぶ。その場合、主にふた通りの遊び方がある。初会(初めて遊ぶ場合)の客の場合には、先述したように張見世で遊女を眺め、見世番に好みの女性を告げれば、案内してくれる。すでに馴染みの場合には、そのまま登楼し、心得た若い者が馴染みの遊女を手配してくれる。
直きづけのほかに、引手茶屋を介して、登楼する場合もある。引手茶屋で遊女を斡旋してもらう方法だ。支払いはすべて引手茶屋が立て替えるため、初会の客はそれなりのお金が入った財布を茶屋に預ける必要があった。引手茶屋の2階で軽く飲み食いした後に、頃合いで女将や若い者の案内で妓楼へ向かう。
「3回目でないと体を許さない」はウソ
また、妓楼から遊女を呼び寄せるという場合もある。もっとも贅沢で、金のかかる遊びである。大概は花魁が妓楼から呼ばれた。指名された花魁は、新造や禿、遣手らを引き連れ、引手茶屋へとやってくる。茶屋の二階座敷で酒宴が催され、幇間や芸者なども呼ばれた。そして、頃合いで花魁らを引き連れて、若い者の手引きで妓楼へと向かうのである。引手茶屋は客が登楼した後も、つきっきりで面倒を見るのが通例であった。
客が遊女とともに寝床についたのを見届けると、妓楼を後にする。そして、翌朝の指定された時刻に、若い者が寝床まで来て起こしてくれる。いたれりつくせりである。
初めての遊びを「初会」と呼ぶ。2回目を裏(「裏を返す」という)、3回目からは馴染みとなる。同じ妓楼では初会の遊女から、別の遊女に替えることは禁止されていた。また、俗に花魁は3回目の馴染みになってからでなければ、体の交わりを許さないと言われる。しかし、これには史料的裏付けはなく、俗説に過ぎない。