ガールズバンドGacharic Spinのマイクパフォーマーで、ラジオのレギュラー番組を3本も持ち、『現代用語の基礎知識2025』に「2024年のキーパーソン」として紹介されたアンジェリーナ1/3(通称アンジー)。そのスピーディーで濃厚な22年間をさらけだした初の自伝的エッセイ『すばらしい!! 日々!』より、父の死の瞬間を綴った箇所を抜粋し、紹介する。(全2回の2回目/最初から読む)
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骨肉腫の手術を受けた父のがんが肺に転移
お父さんの肺にがんが転移したのは、私が小学5年生のときだった。
呼吸も荒くなって、少し歩いただけでもぜーぜーしてたのに、ある日一緒に買い物をして帰るときに、なぜかお父さんは「走ろう」と言い出した。「肺に穴が開いてるんだからやめておきなよ」って諭しても、下町の根性親父だからなのか、たんに負けず嫌いなのか、「なめんなよ!」と言うことを聞こうともしない。
案の定、よーいどんで走り出したら、10秒くらいで息が切れて立ち止まる。
「ちょっと待ってくれ」
「だからやめとけばいいのに」
「なんだと!」
そしてまた同じことの繰り返し。
やっと短いダッシュの連続も終わって、仲直りして手を繫いで帰る二人。この時間が大好きな私。お父さん、いつまでもこんなふうに……。
「ちょっと待っててくれ」
娘の手を離し、コンビニへとすたすた歩いていくお父さん。私はすでに何事かの察しはついている。
「お待たせ」
そこには買った缶チューハイを早速あけて口をつけつつ出てくるお父さんの姿。
はあーっと溜息をついて、お父さんのあいてるほうの手を握って一緒に家に帰った。
私が中学1年生のときの、6月16日。
バスケ部の部活が始まる前の時間、校内放送で私の名前が呼ばれた。何事かと思って職員室へ行くと、「お父さんが危ないかもしれないから病院に向かって」と先生に言われた。
そのとき、私はどうしてもすぐに行く気にはなれなくて、そのまま体育館に戻ってしまった。
お父さんが弱ってる姿を見たくなかったというのもある。そして実は家族の中で私だけ、まだ幼いという理由で父の余命宣告を聞かされておらず、まだまだ1年は猶予がある、今日明日でどうかなるなんてことはないと思っていたのだ。そう思おうとしていたのかもしれない。
なのでみんなに「何かやらかしたの?」なんてからかわれて、「お父さんやばいみたいなんだよね」なんて軽口を叩きながら、アップを始めた。
でも30分くらい経ったとき、不意に「あれ、本当にやばいかも、なんだかここにいていい気がしない」って、すごく嫌な気配に襲われた。
その瞬間、私は誰にも言わず、何も持たずに体育館から走り出し、とにかくまず家に向かった。
入ると帰ってこられない病院の個室に父が……
その頃すでにお父さんの余命を知っていたお兄ちゃんに言われて、何かあったときに部屋に戻る時間がなかったり、家に入れなかったりした場合のために、交通系のICカードと携帯電話をポーチに入れて、ポストに隠してあった。
そしてそれをつかむと、すぐに電車に乗って、築地の国立がん研究センターへ向かった。
お父さんは個室にいた。前にお父さんが冗談で、「その個室に行くともう帰ってこられない」と言っていた部屋。
お父さんも最初は4人部屋だったけど、同部屋ですごく仲良くしてた競馬好きの患者さんが、急にその個室に移ったらすぐに亡くなってしまって、最後の挨拶もできなかったという話を聞いたことがあった。
その個室にいま、お父さんがいる。
しかも肺に管を入れて人工的に呼吸してるような状態で、人間じゃないみたいな、ベッドに叩きつけられるような苦しそうな動きをしている。正直、私は見てはいけないものを見てるのかもしれないと思ってしまった。