常州水戸藩。浜村左兵衛という人物がおります。百五十石取り馬廻り役でございます。時は寛永9年3月の朔日(ついたち)。登城のため、左兵衛が仲間(ちゅうげん)の元八を従えまして大手門に差し掛かります。この時、後ろから蹄の音が聞こえてきたかと思いますと、傍らを通り抜けましたのは、流星黒鹿毛(かげ)の駻馬(かんば)にうち跨る、旗奉行八百石取りの高木主馬(しゅめ)でございます。ところが、それから三十間ほど先を歩いておりました五百石取りの木下八太夫には、高木は気づいて、挨拶をした。これを見て烈火のごとくに憤りましたのが浜村左兵衛。武士の体面を保つためには命をも投げ出すという人物ですから、早速夜になりますと高木の屋敷を訪れて、「高木氏、そこもと何故今朝方、この方に恥辱を与えられしぞ!」――。

 低く響く声音、細やかな語り。鍛え抜かれた話芸は聴く者を魅了する。芸道50年と古希を迎えた神田愛山さんが、講談集のCDを発売した。「寛政力士伝~谷風の情相撲(なさけずもう)~」と、冒頭にご紹介した「敵討母子連(かたきうちははこづ)れ」の二席を収録する。

「一席の『谷風~』は、講談に馴染みのない方にも分かりやすいはず。二席は、菊池寛先生の短篇小説『敵討母子連れ』が原作です。敵討ちの物語ですが、その結末に衝撃を受けまして、ダンディズムの極致、これしかないと惚れ込んで、自分で講談にしました」

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神田愛山さん 写真/橘蓮二

「講談はダンディズム」だと愛山さんは考える。

「よく言われますが、講談の魅力は様式美に尽きるのではない。日本に生まれた人なら必ず心の琴線に触れるものがある。敗者の美学、自己犠牲、散り際の美しさ。切腹を覚悟の上で主君の仇を討った赤穂浪士を喝采した精神は、散りゆく桜を惜しみ、敗れた甲子園球児に拍手を送る……そんなところに今も生きている。みんなダンディズムですよ」

 左兵衛は高木に果し合いを申し込むも、哀れ敵わず斬られてしまう。喧嘩両成敗と、高木はお役御免となり姿を消したが、亡き夫の恥を雪(そそ)がんがため、妻貞(てい)と一子竹之助は、仇を求めて旅に出る。6年の歳月が過ぎた頃、釣り糸を垂れる竹之助は隣に座る老武士に心を許し、身の上話をしてしまう。そこもとは、竹之助どのか。果たして、老武士こそ高木その人だった。竹之助は仇敵を討てるのか。

「武士道とか恥を雪ぐとか。こんな古めかしいことを今の若者は嫌いだろうと思っていました。ある時、僕の講談を聞いた女性が、『わからなかったけど楽しかったです』と仰って。そうか、古いことすべてが悪いことではないのだと気付いたんです。昔、この国の人が感じた思いを伝えようと思って演じ続けています」

 20代の頃はアルコール依存症に苦しみ、謹慎の憂き目にもあった。「断酒40年でもあります。そっちの方がめでたいかな」と笑う。地獄を見たからこそ、愛山さんは敗者を語るとき、哀惜と称賛を惜しまないのかもしれない。

「(神田)伯山のおかげで、愛山なんぼのものじゃと来てくれるお客様が増えました。そういう方にどう伝えるか常に考えています。僕にとっては毎回の高座こそが稽古です」

かんだあいざん/1953年、栃木県生まれ。74年、二代目神田山陽に入門し、87年、真打に昇進し二代目神田愛山を襲名。古典「清水次郎長伝」「徳川天一坊」などから、「講談私小説 品川陽吉伝」シリーズなどの新作、文芸講談まで幅広く演じる。日本講談協会常任理事。

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CD『神田愛山 講談集』
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