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◆高校生たちから“先輩”阿部智里さんへの質問

──小説家になるために、小説を書くこと以外で特に勉強したことはありますか。

阿部 ぶっちゃけ、私は自分の人生の選択肢を、すべて小説を書くのにどうしたら有利かということを基準に選んできました。私が所属しているのは早稲田大学の文化構想学部というところなのですが、そこには作家養成コースもあるんです。でも、私は作家養成コースではなくて、多元文化論系という、どちらかというと歴史重視のところを選びました。なぜかというと、作家になるための勉強というのは、書く方法を勉強する方法と、書きたいテーマを勉強する方法、2つあると思うのですが、今は、テーマやモチーフを深く勉強したいと考えたからです。具体的には、神話や『古事記』『日本書紀』の勉強ですね。日本の伝統文化という授業もあって、そこでは平安装束、いわゆる十二単を実際に着る機会もありました。

──高校時代に小説を書かれたそうですが、部活と小説と勉強と、バランスはどうやって取っていましたか。

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阿部 大変いい質問をしていただきました。私の中では小説>越えられない壁>部活>勉強でした(笑)。ここで暴露しちゃいますけど、私はみなさんよりもはるかに成績悪かったと思います。どれだけひどかったかというと、私が大学に受かったことを知った瞬間に、先生が「うっそマジで」って叫んだくらいです(会場笑)。いやぁ、世の中何が起こるかわからないもんですよ。私は模試で「志望校を考え直した方がよい」というD判定以下のやつ。あれしかとったことがありませんでしたから。だから、諦めずにギリギリまで頑張ってください(笑)。ちなみに、私は中学時代は柔道部だったんですが(会場ざわめく)、それも格闘技やアクションを小説で書いてみたくて、自分でも実際に格闘技の経験がしたかったからでした。

──今年の2月に行われた阿部先生の前橋市内の講演会でもお話を聞かせていただいて、今日こうして、もう一度先生とお会いできて、本当にうれしいです。あのとき、先生に握手していただいたおかげで好きな男子に告白できました(笑)。先生は1年に1冊新刊を出されていると思うんですが、どれぐらいの期間でどれぐらいの量を書かれるのか教えてください。

阿部 ありがとうございます。実は、私は今まで大学で勉強しながら小説を書いていたんですね。だから常にフルパワーで書けていたというわけではないんですが……1週間でどれだけ枚数が書けるかというのは、その時々によって全然違います。平均することができないぐらいバラバラです。たとえば、構想を練っている時間は、傍から見ると完全に何もしていない、遊び呆けている状態です。家の前に畑があるんですが、畑をぐるぐるぐるぐる回ったり(笑)。傍から見ると、あの人ちょっとやばい人なんじゃないかという感じなんですが、頭の中では猛烈に仕事をしているんです。それである時ふと、あっこのタイミングなら書けるな、という時がきたら、相当書けます。1日で原稿用紙70枚くらい書いたこともあったかな(会場「えーっ」と驚く)。でも、書けないときは、1週間ぐらい1枚も書けないということも普通にあります。

 あと、付け加えておきたいのは、書いたものをそのまま本にして世に出せるわけではなくて、ボツになったり、書き直したりということが待ち受けています。だから、みなさんが目にしている世の中の本の裏側には、その10倍ぐらいのボツになった原稿があると思っていいんじゃないかなと思います。

──今日のテーマは「夢を仕事にする」ですが、夢がない場合はどうしたらいいでしょうか(会場笑)。

阿部 夢探しに費やせばいいんじゃないでしょうか。私は明確にやりたいことがありましたが、もし小説という夢がなかったとしても、それなりに楽しく生きていたんじゃないかなという気はするんですよね。自分の精神の自由以上に大切なものはありませんから。自分が楽しく生きるにはどうしたらいいだろうと考え続けていれば、何か見えてくるんじゃないかという気がします(笑)。

高校生にも大人気の八咫烏シリーズ。講演後、阿部さんの控室には、サインを求める高校生たちの長い列ができた。自分から「握手していいですか?」と阿部さんは生徒一人ひとりと目を見てしっかりと握手していた ©文藝春秋

──執筆中は登場人物と話をしているような気持ちで書いていると言う作家さんがいますが、阿部先生は執筆中にそういうことはありますか。

阿部 よくありますね。私の場合は、頭の中に、精神の部屋っていう小部屋があって、そこに登場人物が進路相談に来たりします(笑)。先日も、突然、あるキャラクターが職員室に入るみたいに「コンコン、失礼します」って入ってきて。「おう、お前どうした」って聞いたら、「なんか自分は悪役向いてないと思うので、このまま辞めてもいいですかね」って言うわけです(笑)。「お前もうちょっと頑張れば、もう少し大きい舞台で活躍できるかもしれないんだよ」って一生懸命説得したんですけど、「無理っス」って言われて、そのままその子の進路が変わってしまったということがありました。

──先生は、幼少の頃からずっとプロの作家さんになりたいって思い続けて、その夢に向かってここまで歩まれてきたわけですが、嫌になったり、夢を諦めかけたことはないんですか。

阿部 全くないですね。これはたぶん夢の定義にもよると思うんですけれども。おそらく私はプロになれなかったとしても、死ぬまで小説は書いていたと思うんです。どんなことがあっても、ずっと書き続けるということを前提にしているので、「夢を諦める」ということ自体が起こらないと思います。

──ありがとうございます。元気が出ました(笑)。

新聞部の取材を受ける阿部さん。集まった大勢のファンや作家志望の生徒たちを見た前橋女子高校の先生は「この中からまた10年後に作家が生まれるかも?」下校時間まで後輩たちの熱心な質問は続いた ©文藝春秋

──八咫烏シリーズのファンです。100万部を超える人気シリーズになった八咫烏シリーズを書こうと思ったきっかけや裏話が聞けたら嬉しいです。お願いします。

阿部 ありがとうございます。読んでない方もいらっしゃるので、ちょっと抽象化した言い方でお話しますね。実は八咫烏シリーズというのは、全て高校生のときに書いた『玉依姫』のスピンオフなんです。『玉依姫』というお話の中に、脇役で八咫烏というのが出てくるんですね。烏なんだけれども人間にもなれるというちょっと不思議な存在なんですが、この八咫烏というキャラクターが当時読んでくれた人、友だちや友だちのお母さんたちの間で異常にうけたんですよ。それで、もしかしたらこの八咫烏というキャラクター達を主人公にしたら、面白いものが作れるんじゃないかなと思って、それが今の八咫烏シリーズにつながっていきました。

 さらに言うと、私は平安時代のような舞台設定で、お姫様たちが1人の男性の愛を奪い合うようなものが書きたいなぁと思っていたのですが、勉強するにつれて、いや平安時代の設定でこれはできないと気がついて、お蔵入りしていたんですね。でも、いつもボツになったアイデアも必ずネタ帳に書いているんです。それで、八咫烏というキャラクターを使ったら、もしかしたらあの時ボツになった平安時代風の恋愛物語が書けるんじゃないかと思って、それをかたちにしたのが清張賞受賞作の『烏に単は似合わない』です。ですから、すべて『玉依姫』という、高校時代に書いた1作の話がずっと今につながっているんですね。

──生徒会代表です。今日お話を聞いて、先生の夢に対するゆるぎない信念の強さを思い知らされて、私は自分を恥じました。一応3年生なので、決めた進路はあったんですが、たいした努力もせず、模試の結果に一喜一憂しているばかりでした。今日を転機として私も真剣に進路実現に向けて頑張ろうと思います。また私にはもうひとつ夢がありまして……全然違う分野の夢だったので、諦めるしかないのかとずっと悩んでいました。今日先生の姿を見て、お話を聞いて、やっぱり私も最後まで夢を諦めないで叶えてみせようって思いました。今日お会いできて、本当によかったです。今日はありがとうございました(拍手)。

阿部智里さん ©榎本麻美/文藝春秋

阿部智里(あべ・ちさと)
1991年群馬県生まれ。2012年早稲田大学文化構想学部在学中、史上最年少の二十歳で松本清張賞を受賞。14年早稲田大学大学院文学研究科に進学、修士課程修了。八咫烏シリーズ第1部(『烏に単は似合わない』『烏は主を選ばない』『黄金の烏』『空棺の烏』『玉依姫』『弥栄の烏』)6冊と『八咫烏外伝 烏百花 蛍の章』で累計100万部を超えた。

八咫烏シリーズ特設サイト
http://books.bunshun.jp/sp/karasu
八咫烏シリーズ公式twitter
https://twitter.com/yatagarasu_abc
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