JリーグでMVP(最優秀選手賞)を受賞し、日本代表としても活躍した元サッカー選手の中村憲剛。学生時代に“無名の選手”だった彼は、J2から日本代表まで這い上がった「苦労人」として知られている。

 そんな中村憲剛が「才能」について紐解いた書籍『才能発見 「考える力」は勝利への近道』(文藝春秋)を上梓した。ここでは、同書より一部を抜粋。彼が実際に「天才」と感じた選手について紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)

カタールW杯時の日本代表 ©JMPA

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サッカーにおいての才能とは?

 それでは、サッカーで求められる才能とは何でしょうか?

 ボールを「止めて(トラップして)」「蹴る」ことを正確に、かつ素早く行なうのは、どのポジションでも求められます。競技レベルが上がっていくにつれて、「高い強度のなかで」といった条件が加わってきます。強度は「インテンシティ」とも言われます。

 丸いボールを足で扱う、しかも対戦相手のプレッシャーを受けながらプレーするのがサッカーですから、ミスは起こり得ます。そのミスをできる限り少なくして、自分のイメージや監督が求めるプレーをどれだけ具現化できるか。技術がすべてではないものの、自分が思ったとおりにボールを操れるかどうかは、サッカーにおいて重要度が高いと言えるのではないでしょうか。

ディエゴ・マラドーナやメッシは、先天性の才能の持ち主

 幼稚園児や小学生のサッカーを見ていて、「あの子はちょっと違うな」と感じさせる子どもに出会うことがあります。

 ボールを扱うことに慣れていないと、どうしてもモタモタしてしまうというか、あっちへ蹴ったりこっちへ蹴ったりと、思ったようにボールを操れないものです。

 そういうなかで、まったくストレスを感じさせないボール運びをする子どもがいます。まさしく生まれ持った才能として、「ボールを扱う技術を身に付けている」ケースです。

 僕が少年時代に憧れた元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナは、「ギフテッド」と呼ばれる先天性の才能の持ち主でしょう。現代サッカーでは同じくアルゼンチン代表のリオネル・メッシの名前が挙がってきます。

リオネル・メッシ ©文藝春秋

 彼らのボールタッチやドリブルは、教えられて学んだものではないでしょう。真似をしようと思っても、なかなかできるものではありません。「天賦の才」と言っていいものです。