この4月、NHKがある史料の内容について報道した。それは、榮木忠常(さかき・ただつね)元東宮侍従の日誌である。榮木はアジア・太平洋戦争終戦間際に東宮侍従に就任、学習院初等科に在学していた明仁皇太子を支える立場となった。この榮木の日誌は、終戦前後の皇太子の身の回りで起こった日々の出来事や他の側近とのやり取りを記録しており、大変興味深い史料である。特に、敗戦後に新しい天皇制が構築されていく中で、どのように皇太子を育て、教育していったらよいのか、側近たちが検討している様子が連続的に描かれている。

天皇皇后両陛下の即位後初となる肖像画が完成し、2018年5月に写真が公表された 宮内庁提供

幻の「明仁皇太子留学計画」

 その中で特に、「皇太子留学計画」が注目される。明仁皇太子が中学に進学する前の1946年1月、側近たちは今後の皇太子への教育について検討を重ねていた。終戦から半年も経っていない時期である。検討の中で、側近たちより、皇太子はアメリカやイギリスに留学してはどうかという計画が持ち上がった。そしてその時期は、皇太子が国内で十分に教育を受け、体力がついた高校生の頃を想定していた。なぜアメリカやイギリスなのか。占領によって、日本の「民主化」が進行していた時期であり、当然、天皇制もその対象となっていた。元日にはいわゆる「人間宣言」が発表されるなど、天皇制も「民主化」しつつあったのである。

昭和天皇 ©文藝春秋

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 それゆえ、側近たちは次代の天皇制を担う皇太子に、そうした意識を身につけさせる必要を感じ、留学を計画した。具体的には、まず2年ほどイギリスに留学して王室について学んだあと、アメリカへ1年ほど留学してアメリカの民主主義について学ぶべきだと考えた。榮木の日誌にはそのように記されている(なお、この留学は実現せず、皇太子がイギリスやアメリカを訪問するのは、エリザベス女王の戴冠式が行われた1953年になってからである)。占領下にあって、皇太子をどのように教育していったらよいのか、側近たちは真剣に検討していた。