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どのように「将来の天皇」を教育するべきか――戦後の皇室の「子育て」方針とは?

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2018/06/01
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ヴァイニング夫人は、家庭生活の重要性を明仁皇太子に説いた

 1946年10月には、アメリカ人のエリザベス・グレイ・ヴァイニングが来日、週に1度明仁皇太子に英語の個人授業を行う、家庭教師となった。彼女は1950年11月まで約4年間、明仁皇太子の家庭教師を務めた。12歳から17歳という多感な時期にヴァイニングからの教育を受けた明仁皇太子は、その影響を強く受けたのである。ヴァイニングが家庭教師となったのも、昭和天皇が皇太子への教育は憲法改正などの占領下で起きていた社会状況にあわせて変化したものでなければならないと思考し、また自身の皇太子時代の外遊経験から外国文化との接触の重要性を認識していたことが大きかった。天皇はそれゆえ、占領軍(GHQ)に対してアメリカ人家庭教師の推薦を依頼、皇太子を親米派としておきたいGHQの意向とも一致し、ヴァイニングが家庭教師となった。

明仁皇太子とヴァイニング夫人 ©共同通信社

 ヴァイニングは皇太子に対して、敗戦後の日本が世界の中で生きていくことを強調して教育を行った。敗戦後の日本は平和主義を意識して再出発しており、キリスト教クエーカーとしてのヴァイニングの思想にそれは合致していた。また、彼女の教育を受けることによって、明仁皇太子は自発的・主体的に行動をしつつ、人々との関係性を考えることを認識するようになった。これは、現在の明仁天皇の思想や行動の原点ともなっているのではないだろうか。

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 ヴァイニングはまた、家庭生活の重要性も皇太子に説いた。親子が別居している皇室のあり方を疑問視し、「英国民一般にとって、理想的な家庭生活の表現、また仰ぐべき亀鑑となっている英国王室の、幸福な健康な正常な家庭生活こそ、世界の王家の家庭生活の模範である」と述べた(E・G・ヴァイニング/小泉一郎訳『皇太子の窓』文藝春秋)。理想的な家庭生活こそが国民にとっての象徴たり得るとの意識は、その後ミッチー・ブームを経て明仁皇太子夫妻が実現していくことになる。