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トンネル内部に分岐がつくられた理由

 八雲神社では、毎年7月15日前後に“天王様”といわれるお祭りが今も行われている。以前はお神輿を担いて小糸川を越えて山王様まで行っていたが、昭和30年に三島ダムが完成したことで川はダム湖となり、行けなくなってしまった。それ以降、お神輿は正木地区内を練り歩いていたが、それも随分と前にやめてしまい、現在は神社からお神輿を出さず神事のみが執り行われているということだった。

トンネルと山王様、パノラマ撮影

 三島ダムが完成したあとお神輿は行かなくなったとはいえ、参拝できなくなるのは困る。そのため、トンネルの中から山王様に行くルートを造ったのではないか、ということだった。ダムによって山王様に参拝できなくなるため、代替路として用意されたのが、あの内部で分岐するトンネルだったというわけだ。現在でも月に一度、正木地区の方が当番制で清掃に訪れているらしい。

 また、佐藤さんは「ダムができるよりも前からトンネルがあったと思う」とおっしゃっていた。そちらも気になる。さっそく調べてみた。梅ノ木台2号隧道は、その位置と様態から、三島ダムの関連工事として造られたと思われる。君津市ではトンネルの完成年が分からないとの回答だったが、以前に千葉県が行った調査報告書には、梅ノ木台1号隧道及び2号隧道は、昭和20年建設との記載があった。三島ダムの完成は昭和30年なので、10年も前にトンネルが完成していたことになる。

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梅ノ木台2号隧道には掘り跡がしっかりと残っている

 三島ダムは干ばつに苦しむ地域の救世主として建設された農業専用ダムで、貯水量は521万トンに及ぶ。ダムの建設がスタートしたのは昭和18年。戦争によって工事中断を余儀なくされた期間もあり、完成までには12年を要した。

 なお、ダムによって水没するなどして道路が機能しなくなる場合、付替道路が建設されるが、着工後早い段階で建設されることが多い。

 昭和18年に三島ダム着工、同20年に梅ノ木台2号隧道が完成、同30年に三島ダムが完成しているので、時系列に矛盾はない。トンネルの完成からダムの完成まで10年も開いているため、「ダムよりも先にトンネルがあった」という印象になるのも頷ける。

トンネルができる前に、山王様に行っていた川から上がるルートの痕跡を探してみたが、見つからなかった

 ただ、佐藤さんとの話の中で、もう一つ気になることがあった。それは、梅ノ木台2号隧道とその内部で分岐して山王様へ向かうトンネルは、発注を受けた業者ではなく、ひょっとしたら地区の人たちが自分たちで掘ったものではないか、というのだ。ダムの関連工事とばかり思っていたが、言われてみれば通常の土木工事では考えられない変な構造をしている。ダムの付替道路ならば、こんな構造にするだろうか。

 仮にトンネル本体はダムの関連工事だったとしても、山王様へと分岐する小さなトンネルは、住民の手によって後から掘られた可能性もある。

 そんなことを考えていると、居ても立ってもいられず、ひと月も経たないうちに再び岐阜から千葉に向かっていた。