膨大な時間を受験勉強に費やし、ようやく大学に入学するも、そこからさらに別大学への転学を目指す人がいる。
せっかく合格した大学でキャンパスライフを楽しむでもなく、バイトに明け暮れるでもなく、あえて「仮面浪人」の道を選び、彼らを再び机に向かわせる原動力は、コンプレックスなのか、打算的計画か、それとも別の何かか――。
ここでは謎に包まれた仮面浪人経験者たちへ行ったインタビューのもようを紹介。早稲田大学にある日本最古の仮面浪人サークル「仮面浪人・再受験交流会」を20年ほど前に創設した男性はなぜ、仮面浪人という道を選び、現在も仮面浪人・再受験生と関わり続けているのか。
取材協力:「仮面浪人・再受験交流会」
松尾一樹さん(仮名/40代)の遍歴
・関西地方の名門校から東京大学文科Ⅰ類を目指すも不合格。
・早稲田大学法学部へ進学後、仮面浪人をしていたものの、体調を崩して断念。
・教育系事業を行った後、現在は公務員として働く。
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サークル設立のきっかけ
――松尾さんは東京大学を目指していたんですね。
松尾 そうなんです。大蔵官僚(当時)になって、故郷に錦を飾りたいという思いが強かったんです。官僚になるために東大へ行こうと考えていました。ただ、現役時代は不合格でしたね。そのときは、早稲田大学と慶應義塾大学に合格していたのですが、『東京大学物語』(江川達也)の主人公・村上直樹が早稲田大学政治経済学部で仮面浪人をしていた影響から、早稲田大学への進学を決めました。
――松尾さんは「仮面浪人・再受験交流会」の創設者ですが、なぜこうしたサークルを作ろうと考えたのでしょうか。
松尾 早稲田大学入学後、仮面浪人のほかにも司法試験、国家Ⅰ種試験、塾講師・家庭教師などのアルバイトに熱中していた私は、過労がたたって精神疾患になってしまったんです。医師から「5年あるいは10年などの長いスパンで治療を続ける必要がある」と言われ、官僚・法曹といったハードワークには耐えられないなと。
親も休学を認めてくれず、そのとき、ずっと夢に見ていた未来が閉ざされたと感じました。そして、闘病生活のなかで自分の人生のターニングポイントが仮面浪人失敗であると考えるようになったんです。
受験指導経験があったことも手伝って、同じように仮面失敗で苦しむ受験生を増やさないような会を設立しようと考えました。自らが体調を崩した反省から「たとえ受験結果が喜ばしいものでなくても軟着陸できる場所を作りたい」という具合ですね。