2016(平成)年8月8日、天皇明仁(現上皇)は「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」を述べた。そのなかで天皇は、「国民の安寧と幸せを祈ること」と、「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」を、天皇の務めの二大柱に位置付けた。拙著『平成の終焉』で記したように、前者は皇居の宮中三殿などで行われる宮中祭祀、後者は天皇と皇后が地方を訪れる行幸啓を指すと見られる。
平成の天皇が定義した「象徴」の務め
日本国憲法の第1条に規定された「象徴」を天皇自身が定義づけたうえで、この務めを「全身全霊をもって」果たせなければもはや天皇ではないとしたのである。そして「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」と言っているように、自ら定義づけた務めの二大柱はこれからも不変だとしたのである。
現天皇がこの「おことば」を忠実に踏襲する限り、「令和流」が生まれる余地はない。たとえ代替わりしても、「平成流」が続くだけだからだ。しかし実際には、令和になって早々に現天皇と現皇后は平成の天皇が定義づけた一方の務めを果たせなくなる。コロナ禍によって外出すること自体がほぼできなくなり、定例の行幸啓が中止になったからだ。
令和の皇室のメディア活用は…
そこで令和の皇室は、新しいメディアを活用する。皇室は明治以来、その時々のメディアを活用することで危機を乗り越えたり、天皇制の基盤を広げたりしてきた。例えばロシアやドイツで革命が相次ぎ、君主制が崩壊した第一次大戦後には体調を崩した大正天皇に代わり、皇太子裕仁(後の昭和天皇)の存在感を前面に出すべく活動写真を解禁し、摂政就任への布石とした。
太平洋戦争の終結に際してポツダム宣言の受諾を全国民に知らせるときには、植民地や占領地も含めて同時に天皇の声を聴くことができるラジオを活用した。皇太子明仁と正田美智子が結婚したときには、白黒テレビが大きな役割を果たした。