他方で能登の被災地を視察する際に自衛隊のヘリコプターが使われたことは、平成のときと同様、皇室と自衛隊の距離の「近さ」を印象づけた。戦後、昭和天皇の時代には再軍備を望む天皇自身の意向とは裏腹に自衛隊との距離は相対的に保たれていたが、平成以降の相次ぐ大規模な自然災害が必然的にその距離を縮めたことは否定できない。
明治から戦前までの天皇像は一時的
天皇明仁は平成になってすぐ「日本国憲法を守り」と言い、先の大戦に対する反省をしばしば表明し、皇后とともに太平洋の激戦地を訪れ、とりわけ12年に安倍晋三政権が生まれてからは政権に対峙する姿勢を明確にした。こうした振る舞いをよく思わなかった自民党の保守派にとって、現天皇は平成の天皇のコピーであってはならないはずだ。自民党だけではない。東アジアにおける中国や北朝鮮の脅威を強調する自衛隊の幹部にとっても、平成期に変質してしまった天皇を精神的支柱としてよみがえらせたいというのが本音ではないか。
しかし歴史学者でもある現天皇自身はそう考えていないだろう。会見で理想の天皇として平安から室町にかけての天皇に言及したことがあるように、明治から戦前までの天皇像は一時的にすぎないことをわかっているように見える。
平成の天皇と皇后が訪れた戦地は大戦末期に米国との戦いに敗れた島々ばかりで、日本軍が一方的に侵略や攻撃をした場所には訪れていない。中国やハワイやマレーシアを訪れることはあっても、柳条湖や南京、重慶、真珠湾、コタバルなどを訪れたことはないのである。
現天皇と現皇后がそれらの戦地を訪れれば、平成との違いを見せることができる。「令和流」を確立させるには、国の内外で外国(人)との関係をどう築くかがポイントになるように思われる。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2025年の論点100』に掲載されています。
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