デジタルタトゥーは残る
ではなぜこんな記事が生まれたのか。なぜ小山田氏はしてもいない他人のいじめを語ったのか……その経緯を取材し、私は24年7月『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』という1冊の本にまとめた。そこで感じたのは、メディアが無自覚に便乗することで、取り返しのつかない炎上へ発展するということだ。小山田氏は炎上中に声明文を出し、雑誌での発言を謝罪すると共に、〈事実と異なる内容も多く記載されております〉と記した。自分たちがいじめの根拠としている雑誌の内容に疑義が呈されているのであれば、メディアは同級生に取材をするなど、事実確認の努力をするべきだった。当初、ネットだけで話題になっていた騒動が拡大したのは、毎日新聞など大手紙が雑誌記事のみを頼りに「いじめ告白」を報じたことがきっかけだった。そこにテレビも乗っかり、手の付けられない事態となり、小山田氏の元には殺害予告が舞い込んだ。もしあの時、メディアが独自の取材をしていたなら、結果は違っていた可能性もある。
炎上の最大の罪は、後にその内容が「嘘」だと明らかになっても、デジタルタトゥーとして残ることだ。当事者は炎上した過去を抱え、社会復帰を目指さなければならない。小山田氏は音楽活動を何とか再開できたが、彼の過去を批判する書き込みはまだ残っている。
小山田氏は取材の際、炎上の背景や理由を検証するメディアも中にはあることに触れ、「そういったことが積み重なっていくことで、今後、『炎上ってやっぱり何かおかしいよね』という社会的なコンセンサスが、徐々に構築されていくのではないでしょうか」と語った。
炎上に加担した自覚のあるメディアは、いまからでも遅くない。検証記事を出すべきだろう。それが炎上に対抗する、唯一の手段なのだから。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2025年の論点100』に掲載されています。