「好敵手」として認め、無視しなかった
第一に立花氏を共に選挙を戦う「好敵手」と認め、立候補の意義を認めること。第二に相手の養分となるような批判を避けること。第三に「反ワクチン」論のような対立構図を作られやすい極端な主張を極力避け、過去の実績と今後の公約を強調することだ。
第一の点から見ていく。立花氏にとって泉大津は生まれ故郷であり「地元」である。そして、今回の選挙は兵庫県知事選で良くも悪くも注目を集めることに成功した後の初の選挙だ。それだけに警戒心は現職陣営にも強かった。
好敵手として認める姿勢は応援に駆けつけた弁士にも徹底していた。選挙戦最終日、泉大津駅前の街頭演説でも近隣自治体の首長も「泉大津市長選がこれまで以上に注目を集めているのは立花氏のおかげ」という言葉を繰り返し、泉大津市も含む大阪18区選出の衆院議員・遠藤敬(維新)も首肯するという光景が広がっていた。
彼らは立花氏の存在を無視しなかった。相手が徹底的に無視を決め込めば、「マスメディアだけでなく、現職も無視をした」と主張される可能性もあった。彼らは先手を打つことで、どこまで計算していたかはわからないが、この手の主張そのものを封じ込めることに成功した。
二点目に、真正面からの批判も避けたことも効果的だった。立花氏の街頭演説の特徴は、アンチをも一つの「風景」にしてしまうことだ。どんなに支離滅裂な話をしても絶対に逃げない固定のファンが最前列を陣取り、そこに顔の知れているアンチを指名して質問をさせたり、時に壇上にあげたりして主張を聞かせる。
“養分”になるようなアンチ的立場を取らなかった
NHK党支持者からすれば場数を踏んで慣れている立花氏がアンチを軽くいなしたり、茶化したりしながら盛り上げる場になり、アンチN党側からみれば傲岸不遜(ごうがんふそん)な立花氏がおよそ妥当性を書いた理屈を展開する時間になっていた。
いずれにせよ、重要なのは批判する場や人物を立花サイドがコンテンツとしてみなしていることである。私はN党を強く批判する側の指摘は概ね妥当であると考えている。