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2つの「西洋」とは?

 この本では2つの「西洋」を語っています。「広義の西洋」と「狭義の西洋」です。まず軍事的観点や覇権主義の観点から見ると、「西洋」とは「米国の支配圏」です。欧州と極東、とくにドイツと日本を含みます。他方、文化面――すなわち価値観、権威や不平等や民主主義への態度――から見ると、日本とドイツは米国と大きく異なります。これは「家族システム」の違いに由来しています。

「狭義の西洋」とは、もともと「自由主義(リベラル)」という政治的価値観によって規定された「西洋」で、英米仏からなります。「西洋の敗北」とは、究極的には、これまで世界を支配してきた「自由主義的(リベラルな)西洋」の崩壊を意味しています。米国が世界各地で引き起こしている「戦争」や「紛争」とは何を意味しているのか。私はこう見ています。ドイツや日本のような国々を支配し続けるためにこそ、米国はこうした国々を戦争や紛争、とりわけロシアとの戦争に巻き込んでいる、と。

エマニュエル・トッド ©文藝春秋

真の脅威はロシアではなく米国

 なぜ私はこの本を書いたのか。まず「歴史の現実」を理解したい、という歴史家としての思いからです。私は長年研究を続けてきましたが、その成果を一冊の本にまとめて、いま起きている危機を理解することは、研究者としての喜びです。同時に、「西洋の一市民」として書いた本でもあります。私は西洋人であり、フランス人です。事態の鎮静化に貢献するために、「真の脅威はロシアではなく米国であること」を米国の同盟国や従属国の人々に明らかにしようとしました。ロシアは安定化に向かっている国で、「主権」という考えに基づいて、自らの政治的空間の保全を目指しているだけなのです。世界の中心にあって崩壊しつつある米国は、我々すべてを吸い込もうとしています。つまり、EUの敵は、ロシアではなく、ますます危険な方向へと我々を引きずり込もうとしている米国なのです。

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保護主義は正しくとも、産業を担う優秀で勤勉な労働者がいない

 ――2024年のアメリカの大統領選では、ドナルド・トランプ氏が当選しました。さっそく「関税を引き上げるぞ」という発言を繰り返していますが、これをどう見ていますか。

 トッド 私は基本的に保護主義に賛成です。ですから、第一次トランプ政権の保護主義に(全面的な賛同ではありませんが)肯定的でした。しかし実際、保護主義政策はトランプが始めたものではなく、オバマ政権時にまで遡れますし、バイデン政権も保護主義政策を引き継ぎました。自国の産業を守るには、ある程度の保護主義が必要なのです。

 しかし問題は、保護主義政策が効果をもつには、輸入品に関税を課すだけでは不十分であることです。「優秀で能力があり勤勉な労働人口」が必要なのです。私が見るに、米国はすでに手遅れです。この本では、米国のエンジニア不足を指摘していますが、問題の一部にすぎません。技術者や質の高い労働者も不足しています。トランプの高関税から実際に「利益」を引き出すには優秀な労働力が必要なのに、今日の米国はこうした労働力を欠いているのです。すると、トランプの高関税は、実際には供給の困難、生活水準の低下、インフレの悪化など、さまざまな問題を引き起こすだけでしょう。私はこの分野の専門家ではありませんが、労働力の劣化がもはや不可逆な状態にある以上、トランプの保護主義は失敗するだろうと見ています。

トッド氏の新刊『西洋の敗北  日本と世界に何が起きるのか』(文藝春秋)

米国の国内産業の復活を妨げているのは「覇権通貨ドル」

「経済を守れ!」「産業を守れ!」「国内でモノをつくれ!」と繰り返すトランプは、ある意味、優れた直観の持ち主ですが、「保護主義の理論」をきちんと理解できていない。数日前にトランプが(米ドルに頼らない「脱ドル」を進めれば、加盟国に100%の関税をかけると)BRICSを脅迫して「ドル覇権」を死守しようとした時に、そのことが露わになりました。むしろ米国の国内産業の復活を妨げているのは、この「覇権通貨ドル」なのです(ある国の天然資源の豊かさは経済の他の分野の発展を妨げる力にもなることを「オランダ病」と言いますが、米国はいわば「スーパーオランダ病」に苦しんでいるわけで、経済を阻害する「天然」資源は、ここではドルです)。「ドル覇権」が「抽象的な記号でしかない通貨記号(=ドル)」と「外国からのモノ」との交換を可能にしているのです。