DVから逃れ母子寮へ
思い返せば、DVの兆候は、子どもが生まれる前からあった。口論になるとナオヤさんは、モノに当たっていたのだ。自宅の壁には、ナオヤさんが殴ってあけた穴がいくつもあったそうだ。
ただ、驚くべきことに麻理さんは、友人に指摘されるまで、このことをDVだと認識していなかったという。
「暴力を振るったあとは必ず謝るし、『なんでも好きなの買いな』って1万円をくれたりしたんです。その繰り返しでした。子どもには決して手を上げなかったので、私が我慢してればいいやって思っていたんです……」
そんな麻理さんは、友人から「それってDVだから! 異常だよ!」と言われて目が覚めた。このままでは自分や子どもの身がもたないと察した麻理さんは、ナオヤさんが留守の間に幼い我が子たちを連れて、隣県の実家へ逃げた。
「すぐに夫は追いかけてきて、実家で大暴れでした。『出てこい! この野郎!』『ふざけんな、ババア(麻理さんの母)は引っ込んでろ!』などと暴れたので、警察を呼んで対応してもらいました。次の日、私は福祉事務所に呼ばれて、補助金の手続きなどをして、その後はシェルターに入れてもらいました。3カ月いたんですけど家賃が払えなくなり、母子寮(母子生活支援施設)に移りました。そこは家賃がかからなかったので、子どもを保育園に預けて仕事をする毎日でしたね。そのときはまだ離婚してなかったんです」
離婚から十数年を経たある日…
その後、母子寮のスタッフの助言のもと、離婚に踏み切った。
「DVしている旦那に住所がバレたらダメなんですけど、そのときは母子寮に呼び出してスタッフ立ち会いのもと離婚に至りました。夫は、暴れたりしないで素直に応じていました。彼は、身内以外の人がいると大人しいんです」
無事に離婚が成立し、麻理さん親子は都営団地へ入居。母と息子2人の3人で新生活をスタートさせる。麻理さんは女手一つで、息子たちを育てた。
ナオヤさんから養育費をもらっているとはいえ、麻理さんは完全に彼との縁は切れたと思っていた。しかし、離婚から十数年が経ったある日、ナオヤさんから次のような電話が入る。