2005年、第81回箱根駅伝の5区で11人抜きを達成し“山の神”と呼ばれた今井正人。ここでは『箱根駅伝5区』より一部抜粋し、今井が才能を開花させるまでの日々をたどる。(全2回の前編/続きを読む)
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監督に見抜かれた「山の適性」
今井正人が、東京箱根間往復大学駅伝競走(通称・箱根駅伝)で「初代・山の神」になる発端になったのは、順天堂大学1年の夏、北海道・士別合宿でのことだった。
ウォーミングアップがてら士別陸上競技場まで、今井は同期の3、4人と一緒に走っていると、その後ろから電気自動車に乗った澤木啓祐総監督がきて、横で止まった。
「おまえが5区だ」
そう言って、去っていった。
「えっ今、誰に言った?」
「今井、おまえじゃーねーの?」
「いやいや俺じゃない、おまえだろ」
同期の間で大騒ぎになったが、すぐに今井が指名されたことが明らかになった。
「あのとき後ろから見ていて、膝の使い方や走り方の特徴から、山の適性があると見抜かれたようでした。でも、1年のときは最終的に5区じゃなかったんです」
2004年に行われた第80回箱根駅伝で、今井は1年生ながら2区のエース区間に配置された。1区が出遅れ、18 位で襷を受けた今井は、スタートからエンジンがなかなかかからなかった。
「最初の10キロが29分50秒くらいだったんです。その間、19位まで落ちてしまって。緊張感があって、なんか雲の上を走っているみたいにフワフワして全然ペースが上がらなかった。そのとき、後ろから国士舘大学の坂齋亨さんが来られたのですが、ついていけなかったんです。その後、やっとエンジンがかかり権太坂あたりからリズムが良くなり、自分の足で走れている感があって、前との距離が詰まってきたんです」
権田坂から下って最後の戸塚の壁を越えていくラスト3キロメートルで、今井は4人を抜いて区間10位、12位で襷を渡した。