2009年、第85回大会の箱根駅伝は柏原竜二の独壇場だった。5区で8校をごぼう抜きし、総合優勝に大きく貢献。だがその陰には監督から言われたカチンとくる言葉があったという。(全2回の後編/前編を読む)

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「3位でいいとかありえない。冗談じゃない」

 2009年の第85回大会、柏原が小田原中継所で待っていると、佐藤監督代行から電話がかかってきた。

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「5分くらいの差で来る。とりあえず3番くらいで行ったらいいから。それだと明日チャンスが出てくるから」

 柏原は、その言葉にカチンときた。レースという真剣勝負において3位でいいとかありえない。冗談じゃない。

「イヤです。僕は、今日、勝つために走るんです」

 厳しいトーンでそう言った。佐藤監督代行は、困ったような口調で、こう伝えた。

「わかった、もういい。好きにしていいよ。でも、無理すんなよ」

 このことは、数年前の柏原の結婚式のときにもエピソードとして語られた。

「こいつは、人の話を聞かない。でも、走りは素晴らしかった」

 そう佐藤が言うと、場内には笑いが広がった。佐藤の指導経験から、ここまで言いきる選手はいなかったのだろう。このときの言葉を含め、柏原が与えたインパクトの大きさがうかがえる。

柏原竜二

山で結果を出すために、トラックも坂もがんばる

 レースは、ややオーバーペース気味に入った。それでも勝算はあった。本番の朝、78分台で山を上る初夢を見たので、このくらいでもいけるかなと思っていた。

「9位からスタートしたのですが、順位を上げていくなかで僕が区間賞争いをするだろうなと思って気にしていたのが、山梨学院大学の高瀬無量さんでした。高瀬さんは、1年目、区間6位でしたが、2年目、山に特化しているのは聞いていたんです。5区をスタートしたときは2位でしたし、僕との差も4分以上ありました」

 高瀬は、猛烈な走りでトップの早稲田大学の三輪真之に追いついた。

 だが、その後、三輪に離されて一気に落ちていった。高瀬のまさかのブレーキ(区間22 位)が、柏原にとっては良い意味での誤算になった。

「高瀬さんは2年目なので、ジンクスに自分を当てはめてしまったのかなと思います。一度、山を走った選手は、『次どうしよう』『どうやって山を攻略しよう』って考えるんです。でも、そうじゃないんですよ。山で結果を出すには、山だけじゃなく、全部をパワーアップしないといけないんです。それは、2年目のジンクスからいかに逃れるかというテーマの答えと同じで、シンプルにトラックも坂もがんばってパフォーマンスを上げていくしかない。山を走ることを複雑怪奇に考える必要はないんです」