自ら「一発屋芸人」を名乗る髭男爵・山田ルイ53世さんが、レイザーラモンHG、コウメ太夫、テツandトモなど“テレビから消えていった”芸人を追跡取材、雑誌ジャーナリズム賞作品賞を受賞した新刊『一発屋芸人列伝』

今や視聴率トップを走り続ける日本テレビが90年代、当時の覇者フジテレビをどのように逆転したのかを描いた、てれびのスキマ(戸部田誠)さんのノンフィクション『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』

もともとテレビやラジオ番組を通して親交のあった二人がそれぞれの本を読んで、一発屋芸人と日本テレビをテーマに対談しました。

ADVERTISEMENT

戸部田誠さん(左)と山田ルイ53世さん 

◆◆◆

「絶対これは何らかの賞獲りますよ」

山田 スキマさんとはフジテレビの『放談ナイト』に一緒に出て以来ですね。

戸部田 そうですね。僕は『一発屋芸人列伝』を『新潮45』で連載しているときから愛読していたので、あの番組で、「絶対これは何らかの賞獲りますよ」って言ったんですけど、ホントに「雑誌ジャーナリズム賞」を獲られて。

山田 おっしゃってくれましたよね。あんまり自分から、スキマさんがあのときボソッと賞を獲ると言ったとおり、「賞を獲りました!」って言うのもなんか変な話やから言わんかったんですけど(笑)。

戸部田 実は、山田さんの連載時に僕も『新潮45』に制作会社ハウフルスの菅原正豊さんについてのルポルタージュを書いたんですが、担当編集が同じ方なんですよ。

 

山田 Dくんですよね。もう会社辞めちゃいましたけど。じゃあ、あの時期、Dくんを悩ましていたのは、俺じゃなくてスキマさんなんだ(笑)。俺が書いた1万5千字の原稿をDくんが1万字にして戻してきたら、俺がまた2万字にして返したという。で、Dくんの胃がちぎれそうになったという話があったんですけど(笑)、そういうことをやっていたでしょ、スキマさんも。二人で彼を苦しめたんじゃないですか(笑)。

戸部田 いやいや(笑)、彼はやりたいことがあって辞めたそうですから。その菅原さんの取材を始めたのが、ちょうどこの『全部やれ。』の取材を始めたときと重なっていて。しかも、菅原さんは、この時期の日テレの再興に大きく貢献した方なんで、その取材が偶然重なったのが、結構大きかったんです。

「スキマさん、頑張ったなあ」と思いました

山田 直接話を聞いて本を書くっていうのは初めてですよね。

戸部田 そうですね。インタビュー記事以外では初めてです。

 

山田 いや、だから僕、こんなん言うの、おこがましいですけど、スキマさんがそんなに人とお会いして話したりするのが、お好きじゃないというのも知っていたから、この本を読んだときに「うわー、スキマさん、頑張ったなあ」という、まずその感動が(笑)。だってね、土屋さん(敏男、代表番組に『電波少年』など)だ、五味さん(一男、代表番組に『エンタの神様』など)だというのは、ものすごく偉い人じゃないですか。

戸部田 いまや各社の重役ばかりです。中でも萩原敏雄さんは、日テレの元社長ですからね。社会的にも超大物じゃないですか。だからやっぱり緊張しました。でも、90年代の日テレの逆転劇を知る上で絶対に欠かすことのできない方なので、お手紙を書いて依頼したらお引き受けしていただいて。ご自宅に招いてくれました。