『全部やれ。』はテレビ界の一大戦国絵巻
山田 すごいなぁ。中身はもちろんなんですけど、スキマさんがそういう人のところに行って、本格的にガーッと取材して書かれたというのを聞いて、スキマさんとは、そんな大親友ということではないんですけど、お仕事を何度かご一緒して、知っている方なのでびっくりしました。研究室に閉じこもって、文献だけひもといていた人間が、とうとうインディ・ジョーンズ的に飛び出した、これはすごいことが始まった!という興奮はありましたね。いま、ものすごいええ感じで言ったでしょ(笑)。
戸部田 あはは。ただ書き方自体はそんなに大きく変わったわけではなくて。それまでは、既存の資料を集めるだけ集めて矛盾のない部分を使って書いていたんですが、その中に自分が聞きたいことを聞いた超ロングインタビューという超一級の資料が加わったというか……。
山田 怖い! 人間を資料としか見ていないじゃないですか(笑)。しゃべってくれる資料みたいな。グーグルなんとかみたいなやつと思っているんでしょ。
戸部田 いや、言い方が悪かったかな(笑)。80年代のテレビを描いた『1989年のテレビっ子』ではフジテレビの話が中心になるから、タレントの方々が主役だったんです。やっぱりフジテレビというと、「この人だ」っていうタレントがたくさんいるじゃないですか。でも、日テレの場合、そういう人がいないなあと思って。そうすると、「あっ、スタッフだな」と思って社員の人たちを主役にして書こうと。それには取材が不可欠だということで取材したんですが、みなさん、すごく丁寧によく話してくださって。
山田 でも、それはスキマさんだからですよね。これが、だって、僕みたいな一芸人が五味さんたちテレビ局の大物に取材に行ったら、ケチョンケチョンに言われますからね。正確な証言がとれないですよ(笑)。ホントに『全部やれ。』は、大河ドラマみたいな、一大戦国絵巻のような本ですよね。一気読みしました!
芸人同士の“傷のなめ合い”にはしたくなかった
戸部田 ありがとうございます! 山田さんの『一発屋芸人列伝』の場合、書き手と書く対象が芸人対芸人じゃないですか。しかも、テーマが「一発屋」。取材において難しさはありましたか。
山田 最初、ちょっとイヤだなと思ったんですよ。芸人対芸人やし、かつ一発屋と一発屋。同じ境遇が乗っかっている分、変に傷のなめ合いみたいになったらすごい気持ち悪いじゃないですか。そもそも芸人が芸人に真面目な話を聞くというのも、テレビ番組でもないし、お寒くならないかなという心配はすごくあったんですよ。でも一番尊敬しているレイザーラモンHGさんを一番初めにやりましょうと言って。HGさんに話を聞いて、書いてみて、できあがったら面白かったので。これはまあ、イケるかなと。
戸部田 書くに当たって、距離感が難しかったのでは。
山田 お話を聞いているときも、あんまり寄り添いすぎるのも身内のかばい合いみたいになるから、距離感をすごく大事にしようというのはあったんです。なんせインタビューで聞いた話とか、感じたこととかを書くときに、最低でもインタビューと同じぐらい面白くせなあかんなというのはすごく思いました。書く段になって、面白くなくなると、芸人さんをスベらせたということになるので、そのプレッシャーはありましたね。