「パパ、今年でやめるわ」妻と娘の反応は…
――奥様はなんて?
和田 2018年から「納得できなかったらやめるからね」と毎年伝えていたので、「やっと決断したんだね」という感じでした。そして「あれから6年も頑張ったのは凄いんじゃない」って。22年間現役生活を続けてきたことも労ってくれました。「多くの選手が早晩やめていく中で、これだけ長くやれたのは凄いことなんじゃない」と。
高3の娘には、日本シリーズ6戦目の11月3日に報告しました。「パパ、今年でやめるわ」と言ったところ、きょとんとした顔で「今回は本当?」って(笑)。「ガチだよ」と言ったら「え、ホントに? 冗談じゃないよね。嘘じゃないよね」と念を押されてしまいました。
妻も娘も、僕がケガで苦しんでいるのを目の当たりにしているし、家でストレッチをやったりシャドーピッチングをやったりする姿を黙って見ていたので、安心したのかもしれません。娘にも「ホントよく頑張ったね」って(笑)。
――王貞治球団会長には直接報告したんですか。
和田 なかなか直接お目にかかる機会がなかったので、引退発表の前日に電話しました。何かしら察しているような感じがあって、「今年で引退させていただきます」と告げると、しばらく間があって「そうか」と。会長には本当にお世話になっていて、かつて会長に40歳を過ぎてからどのようにコンディションを整えていたか、どうして引退する決断をしたのかをお聞きしたことがあったんです。40歳で引退した会長は「自分の打撃フォームが出来なくなってしまった」と仰っていましたけど、それでも引退時に30本もホームランを打っていましたからね。
世界のホームラン王と僕を比べるのはおこがましいですが、やっぱり僕もケガのせいで思い描くボールが投げられなくなってきていたので、王会長はお見通しだったのかもしれません。
人生における3つのターニングポイント
――かなり濃い43年の人生だったと思いますが、ターニングポイントを3つ上げるとしたらどこを切り取りますか。
和田 うーん……。1つは浜田高校への進学、2つ目は早稲田大学への入学、そして3つめはダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)への入団を決断したことですね。それぞれの進路先で、本当にいろんなことを教わりました。
僕は島根県出雲市出身ですが、野球の強豪校と言えば何度も甲子園に出場している地元の大社高校(出雲市)が有名。でも僕は浜田高校(浜田市)を選びました。中学の時にそれぞれの高校の進学先を調べたところ、大社高校は関西圏が多く、浜田高校は関東が多かった。僕は神宮での六大学野球に憧れていたので、浜田高校を選びました。


