年末の子どもの楽しみである「お年玉」は、ヤクザの世界でもあるという。
ヤクザの世界には、入門したばかりの若い衆が親分の自宅兼事務所に住み込み、世話をする「部屋住み」という役目を与えられることが多い。掃除、洗濯、食事作り、お客さんの接待などのほか、親分が外出する際には運転手兼ボディーガード役も担う。こうした部屋住みの若い衆には、親分からお年玉が出るのが慣習だという。
前出の幹部は、「何十年も前になるが、自分が部屋住みだった頃は、お年玉は毎年もらっていた。当時だと5万円は入っていた」と振り返る。
近年は反社会的勢力である暴力団排除の取り締まりが強化され、松飾りなどの販売を拒否されるケースも増えたことで、年末のシノギ(資金獲得活動)は低調だという。
暴力団の年末のシノギと言えば、かつては賭場を開いて博打で稼ぐ組織も多かった。
暴力団の新年会に「有名な俳優や歌手がゲストとして来ることも多かった」
前出の博徒系の暴力団幹部は、博打華やかなりし時代の新年会を懐かしそうにこう語った。
「年明けの7日あたりにホテルの宴会場を借りて、数百人が出席する組織全体の新年会を大々的にやっていた。夕方から始まり、途中でカラオケも。延々と続くので飽きてきた連中の中には部屋に戻って麻雀、サイコロ賭博などの博打を始めるのもいた」
そして「昔の話だが……」と断ったうえで、「新年会には当時は有名な俳優や歌手がゲストとして来ることも多かった」と話す。
「国民的な人気がある演歌の重鎮、大物俳優、ヒット連発の歌謡曲の人気歌手なんかが出席していたが、歌手がカラオケで歌うのは見たことがなかったな。対応が丁寧で紳士的、帰る際に車代を渡そうとしても固辞していた俳優もいたな」
芸能界と暴力団の距離が今よりもずっと近かった時代だが、それでも異なる世界が接することで“一触即発”の事態に発展することもあったという。
「芸能人の中には、言葉も態度も横柄なのもいた。(本家の)親分に対して『そりゃそうだろう、ねえ親分さん』となれなれしく話しかけて、肩をポンとたたくことも。周囲に居並ぶ最高幹部たちがその態度に厳しい目を向けて緊張感が漂うこともあったが、その芸能人のことを姐さん(親分の妻)が気に入ってかわいがっていたから、誰も口をはさめなかった。その人はお車代の他に小遣いも当然のように受け取って帰った」
