国内最大の暴力団「6代目山口組」が分裂した2015年8月27日から9年が経った。離脱した「神戸山口組」との対立抗争は、拳銃を使用しての殺人事件や繁華街での乱闘騒ぎ、敵対する暴力団事務所へ拳銃を発砲するほか車両を突入させるなどの事件が100件以上発生、十数人が死亡している。
対立が続くなか、6代目山口組が勢力を維持する一方で、神戸山口組などは組織の再分裂により、縮小傾向にある。ただ、依然として射殺事件などが続発しており、警察当局は警戒を緩めてはいない。分裂から9年にあたり、これまでの経緯を振り返る。(全2回の1回目/後編を読む)
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最大派閥だった山健組離脱の衝撃
2015年8月の分裂で旗揚げされた神戸山口組は、「6代目山口組」の傘下だった4代目山健組(神戸市)、2代目宅見組(大阪市)、池田組(岡山市)、正木組(福井県敦賀市)、侠友会(兵庫県淡路市)の5組織を中核として計13組織で結成された。
組長には4代目山健組組長の井上邦雄が就任、副組長には2代目宅見組組長の入江禎が就いた。
中でも6代目山口組内の最大派閥だった山健組と、中核組織だった宅見組が離脱したことは、暴力団業界だけでなく、組織犯罪対策を担当していた警察の捜査幹部にも大きな衝撃として伝わった。
山健組は、山口組を国内最大組織へ躍進させた3代目組長の田岡一雄の時代に、ナンバー2である若頭を務めた山本健一が結成した組織だった。後に5代目組長の渡辺芳則らを輩出するなど、山健組は保守本流の名門とされてきた。
関西に拠点を構える暴力団幹部は山健組について、「山口組内に限らずヤクザ業界全体のブランド。圧倒的なネームバリューがあり威光は全国に及んでいた」と位置付ける。
「神戸山口組」のもう1つの中核組織である宅見組は、5代目時代の若頭・宅見勝が結成した組織。宅見は1980年代後半から1990年代前半のバブル景気時に地上げなどで巨額の資金を手にし「経済ヤクザ」とも評され、暴力性と資金力を兼ね備えていたことで全国的に名が知られていた。
山健組の渡辺が5代目組長の時代は、組長の渡辺の出身組織の山健組が大きな地位を占めていたが、それに次ぐ勢力の弘道会会長だった司忍が2005年に6代目山口組組長に就任したことで、パワーバランスに変化が生じた。