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「一般人が巻き込まれることだけは...」警察が恐れた“再び”の惨事

 ただ、高山には陥穽が待っていた。2010年11月、京都府警に恐喝容疑で逮捕され、懲役6年の実刑判決を受けて「社会不在」となった。

 この影響は大きく、6代目山口組分裂と神戸山口組の結成は高山の服役中に起きている。前出の警察当局の捜査幹部は、「高山不在をチャンスと見たのだろう」との見方を示す。

 カネが問題となっていた6代目山口組に対して、神戸山口組は「カネのかからない組織」を標榜して立ち上げを行った。その宣言通りに、毎月の上納金について幹部は30万円、中堅は20万円、一般は10万円とした。それだけでなく中元や歳暮なども廃止し、6代目山口組とは大きな違いをアピールした。

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脳裏をよぎった「山一抗争」の凄惨な歴史

 2015年の分裂時点で、6代目山口組の構成員が約6000人だったのに対して、神戸山口組は約2800人。勢力差は2倍以上となっていたが、その後、神戸山口組に加入する組織が相次ぎ、当初は神戸山口組に勢いがあった。

 山口組の分裂当時、関東地方で活動する指定暴力団の古参幹部は、「親分の盃を突き返して組織を出て行くとなったら、その場からケンカが始まることを(神戸山口組は)覚悟していたはず」との考えを示していた。こうした事態に最も敏感に反応したのは警察だった。

警察庁長官(当時)の金高雅仁 ©時事通信

 分裂発覚後の2015年9月3日、当時警察庁長官だった金高雅仁は記者会見で、厳しい表情でこう述べた。

「指定暴力団山口組の傘下組織の一部が、新たな団体を立ち上げたとの情報は承知している。現時点で、抗争に関する具体的な情報は把握していないが、過去、組織の分裂に端を発した大規模な抗争が発生し、一般人が巻き込まれるなど市民生活の脅威となった例もあることから、必要な警戒をしている」

 金高の発言にある、「過去の大規模な抗争」とは、史上最悪の暴力団抗争とされる「山一抗争」(1984~1989年)を指している。山一抗争では、4代目山口組長に竹中組組長の竹中正久が就任したことに反発した一部勢力が脱退して、1984年6月に一和会を結成。

山口組の竹中正久組長射殺事件に使用された拳銃と実弾(大阪府警本部) ©️時事通信

 対立状態となり、1985年1月に竹中が射殺されたのを発端に、双方で300件以上の事件が発生し25人が死亡、70人以上が重軽傷を負った。過去の凄惨な歴史が、暴力団業界だけでなく多くの警察当局の幹部の脳裏をよぎった。警察にとって、一般市民が巻き込まれる事態を再び起こすことは絶対に阻止しなければならなかった。