36歳の時から、がんと闘った父

── 父・辰夫は36歳の時に睾丸がんと肺がんに罹患。この日、インタビューにも同席した母のクラウディアさんは、「夫は当時、抗がん剤治療を受けていましたが、とても元気でした。幼い子と妻を置いてはいけないと、勧められた様々な治療を試し、常に前向きでした」と語る。しかし、その後も続いたがんとの闘いは辰夫の心を着実に蝕んでいった。

 2016年に十二指腸乳頭部がんになり、十二指腸を摘出する大きな手術をした頃から、パパの体はどんどん痩せていきました。19年には腎臓のがんが判明。パパは糖尿病を患っていて片方の腎臓の機能が低下していたので、医師からは人工透析を勧められました。

パパの心と体はみるみる疲弊

 けれども私は透析治療の大変さを聞き知っていたので、「パパ、私の腎臓を1個あげるよ」と提案したんです。パパも「本当に?」と嬉しそうだったのですが、医師からは、「アンナさんの腎臓を移植してもがんになってしまう可能性が高い。それよりも、梅宮さんはがん家系だから、娘さんのために残しておいた方がいい」と、認められませんでした。

 週3日、1日に6時間の透析治療は過酷で、パパの心と体はみるみる疲弊していきました。あんなに優しかったパパがイライラすることが増え、些細なことで「帰れ!」と激怒して。

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父・梅宮辰夫は計6度のがん手術を受けた

「自分の最期は自分で決めたいんだ」

 大好きな食べ物や飲み物を制限される生活も、応えたようです。医師から塩分は1日に3グラムまでと言われていたのに、しょっぱいものが好きなパパはいつもカバンに塩と醤油を忍ばせていて、パパパッと料理にふりかけてしまう(笑)。私とママは「ダメでしょ!」と言ってそれを捨てるのですが、次の日にはまたカバンの中に入っている。

 そんなある日、パパがぽろっと、「好きなもん食べて好きなように死にたい」と言ったんです。その頃から、パパは自分の「最期」について口にするようになりました。忘れられないのは、最後に行った選挙の投票日のこと。