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 以下、「福岡一家4人殺人事件」と称されるこの事件は、子供2人を含む家族4人が殺害され、全員の遺体に重しがつけられて海中に遺棄されるという、衝撃的な事件として大きく報じられることになった。

 週刊誌からの依頼を受けた私が、この事件の取材に入ったのは第一報が出てすぐのこと。遺体の運搬に車が必要なことや、一人ではとても運べない被害者数であることから、複数犯による事件であることが推測された。さらに、遺体の遺棄に重しが使われるなど、事前に準備がされていなければ成し得ない犯行内容であったため、当初から殺害を予定していたのではないかとも考えられた。

 そうなるとまず、被害者に対する「怨恨」や、小さな子供まで巻き込むことでの、「見せしめ」の意味があるのでは、との発想になる。私は被害者であるAさん、さらに妻のBさんの仕事や交遊関係を中心に、取材を進めていた。

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衣料品販売会社を始めたばかりだったAさん

 Aさんの職業について「衣料品販売業」との発表がなされてはいるが、もともと彼は「飲食業」に長らく従事していた。62年4月に福岡市で生まれたAさんは、高校卒業後に佐賀県鳥栖市にある焼肉店を経て、東京都港区にある焼肉店2軒で修業を積み、26歳で帰郷。福岡市中央区で韓国料理店のXを開店する。その2年後、彼はBさんと結婚した。

殺害されたA一家が住んでいた家

 Bさんは高校卒業後に、化粧品会社の美容部員になり、その後は福岡空港国際線ターミナルの免税店で働いていたが、Aさんとの結婚後はXを手伝うようになる。

 Xは人気店となり、やがて夫婦は2号店である焼肉店のKを同市東区で開いたが、BSE(牛海綿状脳症=狂牛病)の影響を受けて、1年ほどで閉店、続いてXも閉店を余儀なくされてしまう。それが02年2月のことだ。

 同年10月から夫婦は、Bさんの親族がやっている衣料品販売会社で働くようになり、03年4月からは、Bさんが知人の休眠会社を使って、衣料品販売会社を始めたばかりだったのである。

 そんな矢先に、家族4人は不幸に巻き込まれてしまったのだ。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。