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月まる 結局1時間くらい先の駅で、どうやって改札を出たかわからないんですが駅の外のコンビニでパンの袋を勝手に開けてしまって保護されました。

 それで警察から家に電話があって「迎えに来てください」と。

――それを月まるさんが?

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月まる 母に「あんたが帰りに迎えに行ってきて」と言われ、私の大学から1時間半くらいかかる場所だったのですが、行くしかなくて。

母に言われた「あんたが欲しいって言ったから産んだ妹」

――いわゆるヤングケアラーだったわけですね。

月まる どうも弟が生まれたときに、私が母に「妹が欲しい」と言っていたようで、「欲しいと言ったのだから、世話をすべき」とずっと言われていました。妹が生まれたことは嬉しかったですが、母からは「あんたが欲しいって言ったから産んだ妹」という言い方をずっとされていました。

 

――かなり強烈なお母さんという感じがするのですが……。

月まる 思い返せば、2歳下の弟が生まれたときから母との関係は歪だったと思います。「自分のことは自分でやりなさい」という感じが強すぎるというか。

 3歳頃のときに雪道を歩いていた日のことは今でも覚えています。母は弟を抱っこしていて、私は歩いていたのですが長靴に穴が開いて、雪が入って足が冷たくて痛さで泣いていました。でも母は寒いから歩きたくないのだと思いこんで、怒るばかり。しかも家に着いて足がしもやけ状態になっているのを見ると、今度は「なんで言わないの」とさらに怒られました。

――父親はそういう時どうしているんですか?

月まる 父は企業戦士で毎日帰ってくるのが深夜でした。父は異性ですし、妹のケアに関わることもほとんどありませんでした。

 ただ父はきょうだい自体は平等に扱う人で、母との関係が苦しさの主な原因だったと思います。

――母親への違和感はいつ頃から覚えるようになったのでしょうか。

月まる 小学校の途中までは、穏やかに暮らしていた記憶があります。それが変わったのは、私が小学校6年生、妹が小学校1年生のタイミングで、妹が障害児の教育に強いと言われる学校に通うために家族で引っ越すことになったとき。小学校5年生の3学期に突然「転校するから」と言われました。