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死因はくも膜下出血

 治則の訃報は、死の直後から一気に拡散し、「ホテルのサウナで死んだ」「いや他殺ではないか」と情報が錯綜する。新聞各紙は翌19日の夕刊でその死を取り上げたものの、死因はくも膜下出血で、〈高橋氏は、一審、二審の実刑判決が覆されるのではないかと期待し、事業も本格的に再開していた〉(朝日新聞)などと短く伝えるに留まった。

 実は、亡くなる当日の午後、治則は静岡市内にある小長井良浩弁護士の事務所を訪問する予定だった。

 小長井は、治則の刑事事件の弁護団に途中から加わり、長銀を相手取った民事訴訟でも代理人を務めていた。彼は、“バブル紳士”の一人と称され、競売入札妨害などの罪に問われた不動産会社「桃源社」の佐佐木吉之助社長の控訴審判決で、一審の実刑判決を破棄させ、執行猶予判決を勝ち取っている。治則はその手腕を高く評価して、逆転無罪を勝ち取るため、頻繁に静岡を訪れて打ち合わせを重ねてきたのだ。

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 この日も、同じく二信組事件を巡る背任罪で起訴された元衆院議員の山口敏夫とともに、打ち合わせが予定されていた。小長井の元に、治則の急死を知らせる一報が入ると、先に到着していた山口は驚きのあまり、「えっ」と声を上げ、二の句が継げなかった。小長井と山口は取るものもとりあえず、東京へと向かった。

 その頃、マスコミ各社も裏付け取材に奔走していた。どうやらサウナで倒れたらしいということは掴んだものの、詳しい経緯は緘口令が敷かれており、伏せられたままだった。

兄の高橋治之氏 ©文藝春秋

 その4日後──。

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