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 キャンディーズの田中好子に似た印象で、細身のスラッとした美人。治則とは1987年8月に出会い、長い愛人関係が続いていた。治則は生涯で何人もの愛人を囲ってきたが、わけても彼女は最も付き合いが長く、特別な存在だった。

 裕子は、年の離れた治則を「じいちゃん」と呼んだ。2人で料亭「佐藤」にも度々訪れており、女将は、その掛け合いを聞きながら、治則のことを「あんた」呼ばわりする年下の奔放な愛人を「あんたのキミ」と言って笑った。

 裕子は治則の死の前週、電話で「来週会おうね」と約束したが、それが最後に交わした言葉になった。亡くなったことは、新聞に訃報記事が出ていると知人が知らせてくれた。通夜と告別式に出るかどうか迷ったが、「じいちゃんが死んだら、葬式に来なきゃダメだよ」と彼が話していたことが頭を過り、西麻布の長谷寺に向かった。

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 裕子には、治則が亡くなった場所について、「多分あそこだ」という心当たりがあった。それは、前年の12月に治則に連れて行かれた赤坂の一軒家だった。青山通りから薬研坂に入り、細い路地を右手に折れた奥まった場所。近くには当時、治則が事務所を構えていた草月会館があった。

 裕子から一軒家の話を聞いた女将は、その場所が自らの自宅マンションの近くだと知り、合点がいった様子でこう話した。

「あっ、だから犬の散歩をしている時によく会ったんだ」

 治則が地検特捜部に逮捕された時、料亭「佐藤」も家宅捜索を受け、女将は治則と政官界の繋がりを知るキーパーソンとしてマスコミの標的になった。そして葬儀では高橋家の親族と並んで座るほど近しい関係でありながら、晩年の治則とは距離ができていた。

コピー1枚自分で取れない不器用な人

 裕子は、治則が隠れ家に自分を誘った日のことを鮮明に覚えている。

「じいちゃんさ、この辺を歩いていた時に、偶然見つけて買っちゃったんだ」

 治則は、「売り出し中」のノボリが立っていた中古住宅を衝動買いしたと明かした。

「いくらで買ったの?」

「1億2000万円くらい。それでも現金で払うからと1000万円くらい値切ったんだよ」

「ここで何するの?」

「いろんな人と話をする」

 一軒家は、内装にかなり手が加えられており、生活感はなく、さながら小さなお風呂屋のようだった。治則は彼女を招き入れ、冷蔵庫からビールを取り出した。ビールと言えば、決まって銘柄はアサヒだったはずの治則が、手にしていたのはキリンの「一番搾り」だった。

「お手伝いさんがいて、全部やってくれるんだ」

 室内には、裕子からすると悪趣味としか思えない家具が置いてあり、違和感しかなかった。ミストサウナを勧められ、服を脱いで入ったが、震えるほど寒いなかを裸で待たされた挙句、突然火傷しそうなサウナの蒸気が足に掛かった。サウナの操作方法が分からず、混乱している様子が手に取るように分かった。コピー1枚自分で取れない不器用な人、それが裕子の知る治則だった。

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