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その時、オペ室のドアがブーンと音を立てて開いた。先輩の看護師だった。床に這いつくばっている千里を見て、先輩は声を張り上げた。
「あんた何やってるの⁉ 何で人を呼ばないの⁉」
千里は、カチンと来た。
「呼ぶ暇がありませんでした!」
そう言いながら、千里はガーゼカウントを続けた。とても先輩と向き合って話をする余裕はなかった。
結果としてうまくいったらしい
急遽(きゅうきょ)、外回りの看護師がもう一人ついた。その看護師は、器械出しの補助をしながら手術記録をつけ、千里は相変わらずひたすらカウントを続けた。外回りが二人になっても血のガーゼは降り続け、千里は気が遠くなりそうになった。(もう限界……)と思った頃に、ようやく血の雨が止んだ。
術野から半分に割られた肝臓が取り出された。器械出しの看護師は肝臓を膿盆(のうぼん)に載せ、生理食塩水に浸してガーゼで覆った。
ここから先はまったくと言っていいほど出血しなかった。患者のバイタル(血圧や心拍数)も安定している。輸血もうまくいって患者の全身状態が悪くなることはなかった。結果としてうまくいったらしい。ヘパテクって血が出るって本当だったんだな。
千里はホッとした。でもクタクタだった。やり切ったというよりも、先輩に怒鳴られたことが不満だった。あんなにがんばったのに。
松永 正訓(まつなが・ただし)
医師
1961年、東京都生まれ。87年、千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。日本小児外科学会・会長特別表彰など受賞歴多数。2006年より、「松永クリニック小児科・小児外科」院長。13年、『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館)で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。19年、『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』(中央公論新社)で第8回日本医学ジャーナリスト協会賞・大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)、『いのちは輝く わが子の障害を受け入れるとき』(中央公論新社)、『どんじり医』(CCCメディアハウス)などがある。
医師
1961年、東京都生まれ。87年、千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。日本小児外科学会・会長特別表彰など受賞歴多数。2006年より、「松永クリニック小児科・小児外科」院長。13年、『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館)で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。19年、『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』(中央公論新社)で第8回日本医学ジャーナリスト協会賞・大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)、『いのちは輝く わが子の障害を受け入れるとき』(中央公論新社)、『どんじり医』(CCCメディアハウス)などがある。