先日、寺島しのぶにインタビューさせていただいた。
基本的に筆者の取材は、階段をある程度昇り切ったベテランが対象で、そこからここまでの役者人生を俯瞰してもらう――という切り口だ。そのため、まだ昇り途中に思えるキャリアの役者たちは対象外としてきた。が、寺島だけは別だった。その芝居から今の日本の役者にはなかなかないギラつきを感じることができ、そのギラつきが年を経て薄れないうちに話をうかがっておきたかったからだ。
そして、実際にお話をうかがってみたところ、期待以上に「情念の塊」ともいえる想いの籠った、今だからこその言葉をいただけたのだった。
特に印象深かったのは、自身の出自に対する想いだ。父親は七代目尾上菊五郎、母親は富司純子。その環境で役者の道を選べば、どうしても両親の名前はついて回る。そこに対して抗い、あがき、もがき、それでもなお立ちはだかり続ける――寺島の語る言葉からは、そんな葛藤を強く感じ取ることができた。そして、その想いがマグマのように根底に熱く滾(たぎ)り、芝居においてのあのギラつきとして表れているように思われた。
今回取り上げる『ヴァイブレータ』もまた、寺島の情念が色濃く出ている作品だ。
強い孤独感を抱えるルポライター(寺島)が深夜のコンビニで長距離トラックの運転手と出会い、行きずりの道中を共にしていく。文字にすると、それだけの物語である。
この男なら、どこか遠くへ連れ出してくれるかもしれない――ヒロインの想いを寺島はそう語る。それは同時に、現状から抜け出したい自身の想いでもあった。それだけに、剥き出しになった感情が全編を貫き、その揺れ動きは時に繊細に、時に大胆に千変万化の彩りを見せる。そのため、物語はほぼ運転席内でしか展開されないにもかかわらず、飽きることなく引き込まれる。
見るからにくたびれきったコンビニでの雰囲気は、男の運転席に乗ってから徐々に生命感を宿していく。初めて男に近づく際の乙女のような表情、そこから一転して男の身体をむさぼる際の獣のような躍動、男に愛撫されている時の愉悦の眼差し、無理に嘔吐しようとしたり、男に風呂で殴ってもらおうと懇願する際の切迫感。自分自身を解き放つためにボロボロに壊れたい。そんな想いをひたすら男にぶつけていくヒロインの感情が、寺島の情念を介して怒濤のように押し寄せてくる。
よくぞここまで曝け出せるものだ――と圧倒されるばかりだが、寺島はそうしたことを全く厭わないのだという。
このギラつきが、今後どう変化するのか。見ていきたい。