大病や絶望的な困難に見舞われた時、何が復活の糸口になるのか。10年前に脳出血に倒れ、それまでの日常生活を絶たれた俳優の塩見三省さんは「リハビリの先輩であり同じ病の同志でもある長嶋茂雄さんから受けた教えを、今も心に刻んでいる」という――。
※本稿は、塩見三省『歌うように伝えたい』(ちくま文庫)の一部を再編集したものです。
同じ病の同志でありリハビリの先輩
初めてこの場所を訪れて、リハビリ室の前でソファに座っていたら、背後からその大きな背中が「イチ、ニイ、サン!」の掛け声と共に私の眼の前に現れた。
ナガシマシゲオさん。
あの人はきっとリハビリの先輩として、同じ病の仲間、同志として私に接し続けてくださったのに違いない。そうでなければ信じられないそれからの4年間であった。
半年に及んだ回復期の病院を退院後、身障者として世間に放り出され、現実に圧倒され自分を見失いかけていた私が、どうしてあの過酷なリハビリを続けられ奮い立ったのであろうか。それは週1回、長嶋さんに逢えるようになったからである。最終的には自宅から病院のある初台(はつだい)まで地下鉄を乗り継いで通うことに決めていたので、公共機関を使うというリハビリにもなっていた。毎週の素敵な時間だった。
長嶋さんだけは逢った人にしかわからない雰囲気があると思う。
「シオミさん、苦しい時には引いたらダメだよ。そういう時こそグッと前に出るんだ!」
そう力強く言ってくださった長嶋さんが、苦しむ私を再び日常社会でのバッターボックスに立たせてくれたのだ。
撮影のために私が2、3回リハビリを休むと、次の週には「シオミさん、先週はどうしたの?」とありがたくも必ず声を掛けてくださった。仕事に戻ろうとする私の意欲と執念をいつも笑顔で喜び励ましてくださった。
勝負の世界で培われたミスターだけが持つ優しさ
関西生まれの私は巨人軍のファンというものではなかったが、それでも、昔から長嶋さんには活躍して欲しいという気持ちを持っていた。そう思っていた人は多いと思う。