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『あな番』ではバッシングを受けたことも…

 だが、本人が「プレッシャーを感じやすいんです」(『ウーマンタイプ』インタビューより)と語るように、俳優としての活動に苦労がなかったわけではない。「元アイドルだから演技は下手だろう」という視線は常にSNSの評判につきまとうし、秋元康が原案企画した『あなたの番です』のテレビシリーズ最終回では、そのいささか強引な結末の身代わりになるように犯人役・黒島を演じた西野七瀬がネットでバッシングを受けたこともあった。

『あなたの番です』で西野七瀬は黒島沙和を演じた 『あなたの番です』公式Xより

 役者としての西野七瀬は、真面目すぎるところが長所でもあり短所にもなっているように思えた。大物俳優に囲まれた現場では「迷惑をかけないようにがんばらなくては」という緊張と必死さが顔に出てしまう、真面目さが表現を固くしていると感じることがあった。

 だが『君の忘れ方』で見せた、この世のものではないヒロインの輝きを演じる西野七瀬は、映画を完全に把握し自分のものにした、「ゾーンに入った」時の彼女を見せていた。これまでの出演作で最も西野七瀬が輝いていたのは『恋は光』での幼馴染役だったと思うが、今作『君の忘れ方』はもうひとつの西野七瀬の魅力、裏の代表作と呼んでいい傑作かもしれない。

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 もちろんそこには作道雄監督の徹底的に計算された演出がある。美しい音楽がある時に息をのむように止まる静寂、決定的な場面でヒロイン美紀の「首から下」だけを映すというカメラワークが意味する不吉な隠喩、そうした映画の魔法がヒロインを輝かせたのも事実だ。

 だが、魔法を使ったのは監督だけではない。今作のインタビューで西野七瀬は「あえて監督にも相談せず、美紀を演じる時は瞬きをしないことをこころがけた」という意味のコメントをしている。それは監督たちに乃木坂のミューズとして撮影されたアイドル時代のMVにはなかった、主体的な俳優としての西野七瀬が見せたクリエイティビティ、演技の魔法である。そしてその魔法は、間違いなくこの繊細な映画を支えている。

「THE FIRST TAKE」のような1分の長台詞

 もうひとつ、観客としてこの映画を見ながら息を飲んだシーンがある。それはクライマックスで、それまで映画の中で言葉を発さなかった美紀のモノローグが流れるシーンだ。それまで映像としての美紀を演じてきた西野七瀬は、映画の最も重要な場面でそれまでとはまったく違う「声の演技」に挑んでいる。1分近くにも及ぶその長台詞が流れる間、作道雄監督はあえてセンチメンタルな音楽を流すことをしていない。

「プレッシャーを感じやすい」西野七瀬が、劇伴音楽の力すら借りずにこの長台詞を演じ切ることができるのか、と思わず観客として固唾を飲んだ。それは「美紀は西野さんしかいない」という手紙を書いてオファーした作道監督が、高く積み上げた壊れやすい塔の最後のパーツに、西野七瀬の声、生きた演技力に映画のすべてをゆだねるような演出だった。

 試写を見終えたあと、ロビーで挨拶をしていた作道雄監督に思わずあれこれと映画について聞かずにはいられなかったのを覚えている。音楽の演出は作道監督が自ら編集したのか、坂本美雨の素晴らしいエンディングテーマはどのような経緯で、などの質問の後、「あの西野七瀬の長台詞は、いったい何テイク録ったんですか」と質問したのは、その1分にわたる西野七瀬のモノローグがあまりに素晴らしかったからだ。映画の中で映像として現れた美紀の冷たい美しさとは対照的に、生きている人間の温かさ、そして限りある命の悲しみが伝わるような演技だった。「テイクは2つのみ、その最初のテイクが映画に使われています」というのが作道雄監督の答えだったと記憶している。

 歌手の世界に「THE FIRST TAKE」という企画がある。歌唱力に自信のある歌手が挑戦する、一発撮りの歌唱力をみせる企画だ。伴奏音楽もなしに1分間の長台詞を演じきった西野七瀬の演技は、いわば俳優としての「THE FIRST TAKE」と言っていいだろう。それは単に鮮烈なイメージを残すミューズとしてだけではなく、人間的なことすべてを演じる俳優としての西野七瀬の成長、未来を感じさせる演技だった。

「音声の収録が終わった時、西野さんは一筋の涙を流していました」ということも作道雄監督は答えてくれた。カメラの前で何秒で泣けるか、というのはしばしば女優としての能力として語られることがあるが、音声だけの収録で、その涙は演技として流す必要のない涙であるはずだった。だが、カメラのない場所で静かに流れた西野七瀬の涙は、声の演技の中にこめた感情があふれたひとしずくだったのかもしれない。この世のものとは思えない冷たい美しさの映像表現と、生きて成長し変化する人間の温かい声。2つの表現力を手にした西野七瀬の演技は、新しい監督によって撮影された新しい映画を祝福しているように思えた。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。