同じ現場では名バイプレイヤーであった地井武男からも、演者としてどう現場でふるまえばいいかということを厳しく教わった。中山は当初、現場には撮影が始まる少し前に行けばいいだろうと思っており、やはり若手だった彦摩呂とはしゃぎながらスタジオに入ったところ、遅刻ではなかったものの、地井から「おまえたち、一番年下なのに、どういうことだ!」と叱られてしまう。おかげで彼女は、若手は一番に現場に入り、スタジオやスタッフの感じをつかんでおかねばならないと学んだという(『週刊大衆』2021年5月31日号)。
大きなターニングポイントとなった作品
いざ俳優業に進みたいと決めてからは、マネージャーも容赦しなかった。撮影中にNGを出そうものなら叩かれそうな勢いだったが、だからこそ中山は頑張れたという。そうやって本格的に俳優の道を歩み始めた頃、大きなターニングポイントが訪れる。それは、映画『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995年)に出演したことだ。
同作で中山が演じたのは、怪鳥ギャオスの生態を調べ、その対応策を立案する鳥類学者の長峰真弓という役である。脚本の準備稿を一読した彼女は、追い詰められても絶対に「私できません」と言わない長峰の凜々しさにすっかり魅せられ、ぜひ演じてみたいと思ったという。それからというもの監督の金子修介に手紙を書いたり、オーディションには事前にセリフを全部入れた状態でのぞんだりと猛アピールして、この役を射止めた(楠野一郎監修『戦う女優(ヒロイン)』扶桑社、2000年)。
炎天下での過酷なロケも乗り切った
劇中、長峰が木曽山中の吊り橋で、襲撃するギャオスから少年を守ろうとする場面は、炎天下のなかロケが行われた。このロケは、少年のダミーで使われた人形が暑さで溶けてしまうほど、撮影全体でもとくに過酷さをきわめたが、どうにか乗り切った。中山は公開時にこのときを振り返り、《あの時点で、自分が出来ること以上のものをみなさんに引き出してもらったと思うんですよ。みんなに“長峰、長峰”って声をかけてもらって、本当にスタッフの方々には支えられました。もし映画の神様がいるのなら、この映画に出られたことを、その方に感謝したい気持ちです》と語っている(『キネマ旬報』1995年3月下旬号)。この言葉からは彼女がこの役にたしかな手応えを感じたことがうかがえる。