「ライバルは誰ですか?」と訊かれ…
しかし、中山はとくに芸能界に憧れていたわけではなく、初めてドラマに出るときも「ちょっと面白そうだな」というぐらいの軽い気持ちだった。そのため、いざその世界に入ると戸惑うことだらけで、本人に言わせると挫折の連続だった。取材を受けても、もともと人見知りで、大人が怖かったこともあり、「はい」「いいえ」「そうですね」ぐらいしかしゃべらないのでインタビュアー泣かせだったらしい。
その上、デビュー当初はいつも“中山美穂の妹”として見られ、とかく姉と比較されることにも抵抗感があった。取材のたび「ライバルは誰ですか?」と訊かれ、相手があきらかに「姉です」と答えることを期待しているとわかっていても、意地でもそう答えなかったという。
俳優業に舵を切り、マネージャーとの二人三脚
80年代にアイドル路線で出発しただけに、歌手としてもドラマデビューした年にリリースした「小さな決心」をはじめ、8枚のシングルを出している。ただ、本人は《ヘタだったし歌詞が覚えられない。歌の1番を2回歌ったりコンサートでは自分の歌なのにどこで終わるのかわからなくなったり(笑)。(中略)ホント、向いてなかったんです》とのちに顧みている(『週刊大衆』2007年3月12日号)。
そんな中山が俳優業に舵を切るようになったのは、デビュー3~4年目についた女性マネージャーの協力が大きい。あるとき、テレビのバラエティ番組に出た帰り、マネージャーに「もう着ぐるみとか着るのいやなんです」と漏らした。初めて本音をぶつけた彼女に、マネージャーは「いやだっていう代わりに、これならできるってことを提案しなさい。それが大人のやり方ですよ」と教えてくれたという。そこから彼女は自分は何をやりたいのかじっくり考えた結果、芝居が一番好きだから俳優一本で行きたいと思いいたる。マネージャーもそれを理解してくれ、以来、二人三脚が始まった。
水谷豊主演の『刑事貴族3』(1992年)に出演したのはそんな時期だった。その撮影現場で、演技中はまばたきをしないこと、セリフはちゃんと語尾までしゃべることなど、水谷から演技について基本的なことを教えられたという。