姉の主演作を観て「私もやりたかった」と初めて思う

 中山自身も、それまで自分と姉では雰囲気や性格も違うし、接点が全然ないと決めつけていたのが、『Love Letter』を観て「ああ、私もこの役をやりたかった」と初めて思ったという。そして、《これから先は、私も姉とライバルになりうるんだな、ふたりで同じ役を巡って張り合うときがくるのかもしれないな、なんて考えました。/もちろん、(中略)今も姉は、常に私の前を走っている大きな存在であることに変わりはありません。ただ、自分自身のやりたい方向が見えたとき、姉の背中だけでなく、横顔がちょっと見えた気がしているのです》と、姉を同じ俳優として意識するようになったことを明かしている(『婦人公論』2002年7月7日号)。

『Love Letter』(1995年)

「憧れは中山美穂」と素直に言えるようになった

「憧れは中山美穂」と素直に言えるようになったのも、そのころからだった。中山の部屋には姉の作品が映画、CD、本とすべてあるという。それまでスターである姉に対し精神的にちょっと距離を感じていたのが、身近に感じられるようになり、姉のことがすごく好きになっていったらしい。物理的な面でも、20代前半までは二人だけの時間というのを全然持てなかったのが、姉が2002年に結婚する2~3年ぐらい前から一緒に買い物や食事に出かけられるようになったという。

 姉は結婚にともないパリに移住したが、2014年に協議離婚したのち帰国。それからというもの姉妹で会う回数が自然と増えていった。中山に残る姉との一番古い記憶は、幼い頃、姉の漕ぐ自転車の後ろに乗りながら一緒にピンク・レディーの「サウスポー」を歌っている場面だというが、お互い40代に入ってそんな子供時代の関係に戻っていくように彼女は感じていたようだ。

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中山忍のインスタグラムより

 先述したとおり、中山はアイドル時代に歌が下手だと自覚し、その後ほぼ封印していたものの、一昨年(2023年)の誕生日、デビュー35周年を記念して東京・丸の内のCOTTON CLUBで30数年ぶりにライブを開催している。さらに昨年には同じ会場で、公私を通じて親しくしている宝塚歌劇団月組の元トップスターの紫吹淳と歌のコンサートを開いた。